概要
1890年代イギリス。ガス燈が霧深い街を照らすロンドン・シティの一角に、私立探偵ソフィア・ブライトは暮らしている。怪盗「ブラック・ヴァイパー」が世間を騒がせ、スコットランド・ヤードの手を煩わせているが、私立探偵の耳には入っていなかったようだ。ある日、馴染みの警部がドアを蹴り開けて1枚のカード(予告状)を持ってくるまでは。
※イラストはstable diffusion産です。
こちらの作品は2024年2月16・17日に行われた「台本執筆企画『闇鍋』」に参加・書き下ろししたものです。他の参加作品は企画ページをご参照ください。
<ルール>
第一回 台本執筆企画「闇鍋」
兎角ゆず 様 企画
参加者:机の上の地球儀様 いとこうさん様 黒崎ろく
・期日までに、参加メンバーによって演じることを前提とした台本を執筆する
・30分程度の作品(ろくさんは大幅にオーバーしましたごめんなさい)
・自作の主人公は作者が演じる
- 所要時間:約50分
- 人数:男性2 女性2
- ジャンル:探偵、推理
登場人物
- ソフィア
ソフィア・ブライト:女性。探偵。飄々としていてちょっと倫理観に欠けてる。(本人→男装→メイド→男装と変装しますが指定以外のセリフで本人に戻ってもかまいません。) - アダム
アダム・ブラッドストリート:男性。刑事。髭の熱血漢。 - レイン
レイン:少女。内気。(本人→男装→お嬢様→田舎者と変装しますが指定以外のセリフで本人に戻ってもかまいません。) - ヴァイパー
ブラック・ヴァイパー:男性。怪盗。美人。(女装→男装と変装しますが本体が男女どちらベースでも構いません。)
本編
ソフィア、自宅アパートで、肘掛け椅子に寝転がりながらブツブツと呟いている。
ソフィア:……彼女は退屈していた。本と紙の束、そしていくらかの科学的器具に埋め尽くされたフラットの一室で、今まさに、退屈に殺されようとしている。最もくだらない、ドラマチックでもロマンチックでもない死因だ。彼女の気を引くものは、謎。謎。謎。絡まった糸を解して伸ばし、真実に到達するその瞬間の高揚感。そういったものでしか、生を実感できない。それが彼女だった。しかしああ! なんということだろう! 平和なのだ。この一週間というもの、シティでは悲鳴一つ、銃声一つ上がりやしない。窓の外は毎日のように霧で包まれ、幅たった数メートルしかない道の反対側のガス燈はぼんやりと滲んでいる。じめっとした、アー、沈鬱な、えっと……いい天気だ。雨じゃないだけマシという意味で。
アダム:ソフィア・ブライト! 居るか!!
ソフィア:……ドアを蹴り開けて髭面の刑事が入ってくる。ツラに見合った、エー、粗野で雑な男だ。アダム・ブラッドストリート警部。汚職にまみれたヤードでは珍しく、アー、えーと、なんつーかな、熱血漢?
アダム:ブライト! 聞いているのか!!
ソフィア:朝っぱらから声がでけえんだよオッサン! ボリューム下げろ壊れた蓄音機かァア!?
アダム:お、おお。聞こえてたか。
ソフィア:聞いとるわ。
アダム:何を一人でぶつぶつやってたんだ?
ソフィア:ワトソンごっこ。
アダム:何?
ソフィア:私にはワトソンくんがいないから。
アダム:ワトソンとは誰だ。
ソフィア:しらんのか君ぃ。はぁ~これだから脳みそまで筋肉だって言われんだよ
アダム:(遮る)そんなことより事件だ!!
ソフィア:……殺人? 誘拐? 現場どこ? 目撃者いる? 証拠はヤードに?
アダム:いや、まだ起こってない。
ソフィア:ハァ?
アダム:予告状が来たんだ。
ソフィア:あー……それ私も現場行かなきゃいけないやつでは……
アダム:家との約束は重々承知しているが、そこをなんとか頼むよ名探偵。
ソフィア:見して
アダム:ああ。ほら。
ソフィア:ん。……ん? 変な模様……
アダム:そっちは裏だ。飾り枠しか書いてない。
ソフィア:……ああ。えっとぉ? 「親愛なるミスター・ジェンキンス。本日深夜12時……
***
ヴァイパー:(女で)あなたの『一番大切なもの』を頂戴いたします。ブラック・ヴァイパー」
レイン:あの、ミスター……
ヴァイパー:マダム。
レイン:マダム。
ヴァイパー:なぁに?
レイン:あ、あ、ありがとうございます、お願いを聞いてくれて。
ヴァイパー:なんてことないわよ。僕にかかれば、人一人死んだことにするくらい容易い(たやすい)んだから。
レイン:ちょっと困らせてやるくらいのつもりだったんですけど、こんな……ふへへ、最高の計画を考えてくれるなんて……どうお礼をしたら
ヴァイパー:お前は上客だからね。特別よ。にしても、こおんなお嬢ちゃんが、毎日毎日よくあんな大金貢げたねぇ。
レイン:使い道のないお小遣いなんて持ってても意味ないですから……せめて、あなたに覚えてもらいたくて……だって、とっても綺麗で、かっこよかったから
ヴァイパー:ストリップダンサーが?
レイン:はい……
ヴァイパー:かーわーいーいー
レイン:うあ……
ヴァイパー:まあいいわ。この賭けが失敗したら、お前は今日、死ぬ。
レイン:はい。
ヴァイパー:成功したらそのまま生きるつもり?
レイン:どうでしょう、まだわかりません。
ヴァイパー:ふん。お前の依頼はちゃぁんとこなしてあげる。
レイン:(生きたいか悩んでいる)……。
ヴァイパー:んー。先に新しい名前をつけてしまおうか。そうねえ。……レイン。お前はレインちゃん。
レイン:レイン。
ヴァイパー:不満?
レイン:い、いえ、サーに名前を頂けるなんて、嬉しくて
ヴァイパー:マ、ダ、ム
レイン:マダム。
ヴァイパー:僕が名前をつけた。つまり名付け親だねえ?
レイン:え、それって、後見人(こうけんにん)になってくれるって(こと)
ヴァイパー:(遮り)お前は今日一日僕の子供。つまり僕の奴隷。僕のために働いてもらうよ。当然だよねえ?
レイン:はい、喜んで、サー
ヴァイパー:マダム。
レイン:マダム。
***
アダム、ソフィアのアパートの前に待たせていた辻馬車の御者に話しかける。
アダム:またせたな。今度はブルームズベリーまで頼む。
ソフィア:……ブラッドストリート警部はそう言って、辻馬車の御者に待たせ料として12ペンスを支払った。
アダム:あ? またなんとかごっこか?
ソフィア:ワトソンくんごっこだってば。ちゃんと読者諸君に伝えないとでしょ? 場面が変わったことを。
アダム:何を言っているんだ? ほら、さっさと乗れ。
ソフィア:へいへい。んでぇ、このカードが? テーブルに? 刺さってたって?
アダム:ああ。本日早朝、起きてきた住み込みのメイドが、ダイニングテーブルに刺さっているのを見つけたそうだ。
ソフィア:どんだけ鋭利なの。カミソリでも仕込んでるわけ?
アダム:いかにもじゃないか? 予告状が、刺さってるなんて。なあ!
ソフィア:なんでちょっとワクワクしてんだよ。
アダム:すまん。
ソフィア:そんで、その「いちばん大切なもの」ってなんなの?
アダム:ああ、ジェンキンス氏に聞いたところ、おそらく展示中の「ブルーガーネット」を狙っているのではないかとのことだ。
ソフィア:ブルーガーネット?
アダム:彼は美術商でな。古今東西の絵画や工芸品、宝飾品なんかの、価値あるものを集めているそうだ。その中に、とある豪族の末裔から譲り受けた10カラットの代物があるんだ。ガーネットっていやぁ、普通は赤だろ? それが青いってんで幻だとか言われてるらしい。
ソフィア:そりゃあ、ごもっともだねえ。私だってほしいよ。
アダム:へえ。お前さんも宝石に興味があるのか。やっぱ女はそういうのが好きなのか?
ソフィア:女は男はって言うのやめてくれるぅ? ほらさ、1つで大きな価値があれば、じゃらじゃらと身に付けなくてもすむだろ。追われる身になったときに持ち出すのが楽だ。売って金にする。
アダム:……ブライト、お前いい歳だろ。イカした男にプレゼントされたいとか思わないのか?
ソフィア:ないね。まったくない。警部こそ奥さんにプレゼントしたら?
アダム:あんなもの見せびらかしてたら襲ってくれって言ってるようなもんだろう。愛する人を危険な目に合わせるようなものをプレゼントするわけがない。
ソフィア:へえ、意外。宝飾品をプレゼントすんのが愛のカタチかと思った。
アダム:俺の愛は違う。愛する人の人生を、笑顔を、命をかけて守る。それが愛だ。
ソフィア:うわ暑苦し。いいよそういうの、フィクションだけで。
アダム:俺の話はいいんだよ。でだ。今、警官を派遣して屋敷を警備している。
ソフィア:最初からニセモノとすり替えとけば?
アダム:そのつもりだ。見た目が似ている手頃な宝石が無いか、宝石商へ向けて朝刊に広告を出した。
ソフィア:ふうーん。……さてさて。わざわざ「あなたの一番大切なもの」と書くなんて、ミスリードしたいって思惑が見え見えなんだけど。有名なの? この、ブラック・ヴァイパーって。
アダム:なんだ、探偵のくせに新聞を読まんのか?
ソフィア:うん?
アダム:最近巷を騒がせている大怪盗だぞ。
***
レイン:あの、マダム
ヴァイパー:なあに、レインちゃん。
レイン:この格好は……
ヴァイパー:お前は僕の付き人。とある宝石商の小姓(こしょう)だよ。男のフリするんだからナヨナヨした立ち方はおよし。
レイン:おとこの、ふり……!
ヴァイパー:ほらこっちおいで。
レイン:んむ
ヴァイパー:あんた肌が白すぎるからね。ちょっと汚さないと女だってすぐばれてしまうよ。
レイン:スラックスなんて、初めて履きました……
ヴァイパー:コルセットより楽だろ。
レイン:はい、息がしやすいです。
ヴァイパー:これでよし。姿勢は悪くして、喋るときは低く。慣れてないんだから、ちょっと吐き捨てるくらいでちょうどいい。
レイン:(男の子で)こうっすか。
ヴァイパー:やるじゃないの。
レイン:演劇を、よく見てたんス。お父様に連れられて……
ヴァイパー:いい趣味ね。僕も舞台に立ってたのよ。ストリップダンサーになる前は。
レイン:(女の子で)役者だったんですか?
ヴァイパー:戻ってる。
レイン:(男の子で)あ、すいやせん。
ヴァイパー:10代のうちだけね。
レイン:それでお化粧が上手なんです、なんスね。
ヴァイパー:そう。子どもも老人も、男も女も演じ分けた。僕は天才。
レイン:どうしてやめたんですか?
ヴァイパー:つまんなくなっちゃったから。
レイン:へえ……
ヴァイパー:もっと面白いことを見つけたのよ。スリルがあって、ドキドキする。楽しい遊び。
レイン:泥棒……
ヴァイパー:そう。宝石から花一輪まで価値あるものはなんでも盗む。誰にも、影さえ見られることのない、大泥棒。いつ盗まれたのかも、どうやってヤられたのかもわからない。悔しそうな顔を見るのが快感なのよね。ま、それも最近は簡単すぎて飽きてきちゃったけど。あーあ、どこかにいないかしら、僕をヒヤヒヤさせてくれる素敵な人。
レイン:……予告状は出さない方が良かったんじゃないスか?
ヴァイパー:ヤダ、わかってないわね。向こうからしてみれば、ちゃあんと準備したのにまんまと裏をかかれるから悔しいんじゃない。
レイン:そういう、もの?
ヴァイパー:そういうものよ。さてできた。今日の設定は父親が急死し、若くして事業を継ぐことになった青二才の宝石商。ただし目利きは確か。だって子供の頃から叩き込まれてるんですもの。(男で)……それじゃあ、行こうか、レイン。カバンを持って付いておいで。
レイン:はーい……マダムってスーツを着てれば完全に男なのに、なんであんなにドレスも似合うんだろう。
ヴァイパー:はは、どっちの僕のほうが魅力的?
レイン:どっちもです。
ヴァイパー:いい子だ。
***
アダム:というわけで、毎度誰にも姿を見られることなく、予告状通りに盗みを行い、男か女かもわからない。しかも決まって評判の悪いお偉方や金持ちから盗んでいくもんだから「義賊」だなんだと民衆は喜んでる。
ソフィア:(男装)義賊ねえ。犯罪にはかわりないだろうに。
アダム:今日は宝を守ることはもちろん、そのブラック・ヴァイパーを捕まえたい。それでお前を呼んだんだ。
ソフィア:なるほど。んでこれがそのジェンキンス屋敷ね。はえー悪趣味~。
アダム:ブライト、それ、中で絶対に言うなよ。
ソフィア:分かってるよ~。……築2年くらいかなー。庭は手入れされてない。あーあ、せっかくのバラが……。
アダム:何度見ても慣れないな。
ソフィア:ハリボテで固めた成り上がり中産階級てわけだ……なんか言った?
アダム:捜査のときに毎度違う人間の格好をするのには意味があるのか?
ソフィア:(ソフィアで)身を守るためにきまってんじゃん。私は武術の心得はないし。恨み買って襲われたくないし。それから家にバレても一発アウト。そっちだってヤードが素人探偵に協力扇いでるだなんて体裁が悪いだろ?
アダム:クライアントに直接会わないという条件があれば大丈夫だと俺は思うんだが……
ソフィア:念には念を入れてだよ。あ、今日はブライトって呼ぶなよ? 絶対呼ぶなよ? フィル・ライト。今の俺はあんたの友人。フィル・ライトだからな。フィルで呼べよ。
アダム:フィル、フィル……なんでフィルなんだ?
ソフィア:(フィルで)フィロソフィア。知を愛すること。すなわち哲学。俺は愛だの恋だのくだらんものは嫌いだが、知識を愛している。知恵をこそ愛している! 人間は考える葦であると、パスカルは言った。考えるのをやめるときは、人間やめるときだぜ、オッサン。
アダム:む。棘を感じるぞ。
ソフィア:バラのトゲじゃない? さて、ブラッドストリートくん。ここに妙な足跡があるね。深さと足のサイズからして女性、しかも裸足だ。壁を伝う蔦には、所々ちぎれた葉が残っている。裸足で花壇を歩き回り、彼女は靴を履いて屋敷の外へ向かった。彼女は一体どこから来て、どこへ消えたんだろうねぇ。
アダム:女性の足跡?
ソフィア:あの2階の部屋は誰の?
アダム:ああ、ジェンキンス氏のご令嬢、マイアさんの部屋だ。今は体調が悪く、部屋にこもりきりらしい。彼女付きのメイドにもドア越しにしか話をしてくれないそうだ。
ソフィア:…はぁん。お転婆なラプンツェルってとこかね。メイドの名前は?
アダム:キャシーだが……事件と何か関係があるのか?
ソフィア:さあ、どうだろうね。
***
ヴァイパー:(男で)ごめんください! 新聞の広告を見て参りました!
レイン:(小姓で)……誰も出ないッスね。
ヴァイパー:気長に待とうか。時間ならたっぷりある。
間
アダム:……こりゃ申し訳ない! おまたせしてしまって。
ヴァイパー:いえいえ。青い宝石をお求めのようで。わたくし、ウェストミンスターに店舗を構えています。ターナーと申します。
アダム:ターナーさん。ご足労ありがとうございます。
ヴァイパー:必ずやお気にいる品をお見せいたしますよ、ジェンキンスさん。
アダム:え? ああ、私はジェンキンス氏ではないのですよ。
ヴァイパー:そうなのですか?
アダム:私は、エー、友人でして、ブラッドストリートと申します。ご挨拶が遅れまして。
ヴァイパー:ではジェンキンス氏はどちらに?
アダム:今、別の宝石商とやり取りをしていますよ、ご案内します。
ヴァイパー:ありがとうございます。(アダムを見送って)……やはり宝石のほうだと思っているようだねえ、レイン。
レイン:……分かってたっスよ。
ヴァイパー:では、計画通りに。
レイン:はい。
***
キャシーを眠らせ、服を奪って物置に詰め込んでいるソフィア。(キャシーには毛布を巻いた)
ソフィア:(フィルで)ごめんねえ、お嬢ちゃん。ちょっとここで寝ててねー。あと8時間くらい。
ソフィア:んんっ。(だんだん少女=キャシーの声に整える)あー、あー、あー。こんな感じかな? 思ったより長身だったなぁ……。ブーツで騙せるかどうか。さて、お嬢様の部屋はっと……
ドアノック
ソフィア:(キャシーで)マイアお嬢様? ご気分はいかがですか?
無音
ソフィア:お嬢様?
ソフィアの背後から話しかけるレイン。
レイン:(マイアで)キャシー?
ソフィア:!?
レイン:どうしたの? 今日は一日放っておいてと伝えたはずよ。
ソフィア:そ、そうは申しましても、さすがにお腹がすいたのではないかと思って……お部屋から出られていたのですね。お体はもうよろしいのですか? どこに行かれていたのですか? そんな、男性のような格好で……
レイン:あなたには、関係ないことよ。えっと、お腹は、空いていないわ。お父様はどうしてる?
ソフィア:旦那様は応接室で宝石商の方とお話ししていますが……おや、お嬢様、腕に擦り傷が
レイン:…! なんでもないわ。下がりなさい。
ソフィア:そんな! ほっておいたら化膿してしまいます! こんなこともあろうかとこちらに救急セットが。お部屋でお手当しましょう? ね?
レイン:……あなた、誰?
ソフィア:……あなたのメイド、キャシーですよ? マイアお嬢様ぁ。
レイン:いいえ、キャシーは私が下がれと言えば素直に従うくらいには優秀なメイドよ。
ソフィア:(ソフィアで小声)チッ。使用人仲間とお嬢様で態度がちがうのかよ
レイン:あなたは誰? なんの目的でキャシーのフリをしているの?
ソフィア:(フィルで)あー、あなたと少し話がしたくてね。マイアお嬢様。
レイン:素性のしれない人に話すことなどなにもないわ。
ソフィア:そりゃごもっとも。俺はフィル・ライト。探偵だ。あんたのお父様が受けた盗みの予告について、ヤードから依頼を受けてここに来た。本日深夜12時に起こる犯行を阻止するために、あんたに話を聞きたい。これでいい?
レイン:ヤードが探偵を雇うの?
ソフィア:ごもっともなご質問だ。だからこれは秘密。俺と、あんたの。な?
レイン:……じゃあ、そうね。部屋で着替えるからここで少し待って。
***
アダム:いやー、助かりましたよ。あんなに似通った品物があるとは! しかもあの輝きがガラスだとは誰も信じまい。
ヴァイパー:すばらしいでしょう? チェコで見つけましてね。スワロフスキーという職人が作っているんですよ。クリスタルガラスといって、イギリスでも流行するのではないかと思っているんです。これからは庶民も美しいものを持てるような時代になりますから。
アダム:ほほー、先見の明がありますなあ。
ヴァイパー:ところで。
アダム:はい?
ヴァイパー:あの見本として見せて頂いた宝石。ブルーガーネットですね?
アダム:……さすがの目利きです。ご存知でいらっしゃったか。
ヴァイパー:さまざまな色合いがあるといえど青は存在しないというのがガーネットの定説です。そのブルーガーネットを、美術商のジェンキンス氏が手に入れたという話は宝石商の間でも少々ウワサになっておりました。しかし、あれほどまでに美しいとは。光の加減によっては赤い炎を内包しているようにも見える。いやあ、良いものを見せていただきました。
アダム:ええ、本当に美しい石ですねぇ。
ヴァイパー:……ご友人にしては興味が薄そうだ。
アダム:え、い、いやあ、私は警察ですから宝飾品には縁がなく
ヴァイパー:刑事さんでしたか!
アダム:あ。
ヴァイパー:どおりで佇まいがピシっとしておられる!
アダム:いえいえ、そんな
ヴァイパー:それで、刑事さんがどうして一緒に、詳しくもない宝石をお選びに? 友人といっても、不思議な人選ですよねえ。
アダム:あー、いや、それが……
ヴァイパー:全く同じに見える宝石をお求めと聞いてわたくし、邪推ながらすり替え用のご準備かと思いましたよ。いや、まさかそんなことは無いでしょうが。そうだったら面白いのに、と。ね?
アダム:アー、(小声)実は、そのまさかで……ブルーガーネットが狙われておるのです。
ヴァイパー:︰……へぇ?
アダム:それでジェンキンス氏より相談をうけ……あー、せっかくいただいた品物をこのように使うのは大変忍びないのですが……あー……
ヴァイパー:すり替えるのですね?
アダム:……ええ。盗まれないように事前に偽物と取り替えておこうという算段なのですよ。
ヴァイパー:本物はどこに隠すおつもりで?
アダム:それは…私も知らないのです。隠した人物もわかりません。誰も知らないことが一番の防衛策となりますから。
ヴァイパー:なるほどなるほど……それでしたら、万が一のときに、わたくしの目利きがお力になれるかもしれません。
アダム:というと?
***
レイン:泥棒の予告状……それで、ガーネットを守るために、あんなに刑事さんがいたのね。
ソフィア:(一瞬の間)……そう。カードは刑事のオッサンがもってるから今見せることはできないが、「本日深夜12時に、あなたの一番大切なものを頂きます」と書かれていた。
レイン:大変ね。
ソフィア:……お嬢さんも、ジェンキンスさんの一番大切なものはあのガーネットだと、そう思うのかい?
レイン:え? ……(吐き捨てるように)だってうちにある品物で一番貴重なものよ。ガーネットに決まっているじゃない。
ソフィア:俺はねぇ、カードの裏面に飾り模様のように書かれていた一文が気になって気になってしょうがない。
レイン:裏面?
ソフィア:「ゆめゆめ選択をお間違えなきよう。さもなくば、あなたは今夜、代えがたいものを一つならず永遠に失うことになろう」
レイン:……何、それ
ソフィア:一緒に考えてくれないか? 頼むよ。このメッセージの謎がとけないと……(黙り込む)
レイン:依頼を達成できないってわけね。
ソフィア:いーや! 楽しくて楽しくて夜も寝られない!! 不眠症になっちまう!! 不眠は健康の敵だ!ああ! どういう意味だ!? なあお嬢さま、気づくことがあればなんでも教えてくれ! 選択とはなんだ? 代えがたいものとはなんだ? 一つならずということは複数あるということだ! あんたのお父様が大切にしているものって一体何だ!?
レイン:……ちょ、そんな、詰め寄らないで
ソフィア:失礼。
レイン:お父様が大切にしているものは……お金と、仕事のつながりよ。
ソフィア:ほお?
レイン:美術商をしながら、お父様は人と人を繋げて紹介料をとっているの。商談をするとき、きまって相手を美味しい食事でもてなし、たわいない会話で困っていることを聞き出す。それでその場ではモノを売って、数週間後とか、数カ月後とかに、相手の困っていることを解決できる他の人を紹介する。そうすると互いに喜んで、次の困っている人を紹介してくれるの。
ソフィア:うーん。まっとうなビジネスのようにも思えるけど。親切だよね。
レイン:そうね。仕事はそれでいいとおもう。……お母様が亡くなって、お父様は取り憑かれたかのように仕事に打ち込んだわ。実際、田舎からシティの近くに引っ越すことができて、家は大きくなったし、メイドや執事も雇って暮らしは豊かになった。でも、家族の時間はまったくなくなって、食事の間だってお父様は大きな契約がとれたとか、前に仕入れたあの絵が何倍の価格で売れたとか、あんなに口を利いてやったのにあいつは恩を返さないとか、そんな話ばっかり。私は、大きな家も、メイドもいらなかった! お母様が亡くなってそりゃとっても悲しかったけど、私が家事をして、お父様が仕事から帰ってくるのを迎えて、抱きしめてくれて、支え合いながら悲しみを乗り越えていければそれでよかったの! それなのにお父様はもう私を見てもくれない!
レインが落ち着くまで待つ。
ソフィア:……お嬢さんは、どうして商談中のことをそんなに詳しく知ってんの?
レイン:……私が、お客様にお酒を注ぐから。
ソフィア:はぁー。
レイン:そのためにマナーや美しく見える所作を体に叩き込んだ。笑顔を練習し、娼婦のような甘ったるい口調を真似て……お客をいい気分にさせると商談がうまくいくの。私はお父様の道具なんだ……。
ソフィア:あーまあ、お嬢さんかわいいもんね……
レイン:かわいくなかったら、こんな思いしなくてすんだのかな。
ソフィア:どうだろ。
レイン:……ごめんなさい。感情的になって。……お父様はいつも言っているわ。繋がりが一番大事だって。
ソフィア:教えてくれてありがとう。でも繋がりはなあ、盗めないしなあ……
レイン:……
ソフィア:俺はね、怪盗が盗もうとしてるのはマイアお嬢さん、あんたじゃないかと思ったんだけど。
レイン:え?
ソフィア:一人娘だろ?
レイン:ええ……。
ソフィア:奥さんか子供かも、とあたりを付けてたんだが。奥さんは亡くなってるから、消去法でお嬢さんになった。
レイン:……私、わ、私では、無いと思うわ。
ソフィア:どうして?
レイン:だ、だって現に、お父様はガーネットを心配して警備をつけてる。
ソフィア:(笑う)
レイン:何がおかしいの?
ソフィア:だって考えてもみてよ。予告状を書いたのは怪盗だぜ?
レイン:そうよ。
ソフィア:だったら考えるべきは、怪盗が、『ジェンキンス氏が大切に思っている』と思っていそうなものはなにかだ。ンーまあ、もし俺が怪盗だったら。あんたのお父さんが守らなかった方を盗る。
レイン:え?
ソフィア:宝石を守ればお嬢さんを。お嬢さんを守れば宝石を。それで、盗んだ方をダシにもう片方も手に入れる。俺ならそうする。
レイン:そんな……
ソフィア:ただまあ、これは怪盗がお嬢様を欲しがっている場合にしか成立しない。
レイン:そ、そうだわ。私なんかを、どうして欲しがるわけ。
ソフィア:ねえマイアお嬢さん、怪盗と知り合いだったりしない? そんで相手に惚れられてて、君を盗み出そう!みたいな
レイン:そんな馬鹿なことあるわけないでしょ!
ソフィア:だよねえ~。ごめんごめん。からかっただけさ。ま、念には念を入れて、11時半ごろからは、俺たちと一緒に展示室にいてくれるかな? 守るべきものは一箇所にあったほうが守りやすい。
レイン:そんな必要はないと思うけどね。
ソフィア:ふふ。
***
23時30分。展示室。
アダム:犯行予告時刻まであと30分だが……。
ソフィア:やあやあおまたせ。
アダム:お前はどこに行ってたんだブライ
ソフィア:ア!?
レイン:ひっ
アダム:……フィル!
ソフィア:やだなあ、お嬢さんにお願いしてお屋敷を案内してもらってたんだよアダム! だってそうだろ、どこから入って来て、出ていけるものか確認しておかないと!!
アダム:屋敷は警官が包囲している。ドアも窓も施錠を確認した。ネズミ一匹ですら入ってこられん。
ソフィア:でも相手は「毎度予告状通りに、姿もなくものを盗んでいく」んだろ。ってことはこの万全な状態でも、どうにかして入ってくるってことだ。
アダム:ンムゥ。それに、お嬢様まで連れてきてなんのつもりだ。危ないだろう。
ソフィア:俺的には、一人にしておいたほうが危ないと思うんだよね。
アダム:どういう意味だ?
以下、()内はアイコンタクト。言っても言わなくてもOK。
ヴァイパー:……(なんでここにいる)。
レイン:……(ごめんなさい!)。
ヴァイパー:……(なんとかして部屋を出ろ)。
レイン:も、もしよろしければ、私、みなさんのぶんのお茶を淹れますわ。この時間は冷えるでしょう? ね?
アダム:それはありがたい、ちょうど喉が乾いていたところなんだ。
ソフィア:いや、ここにいたら? キッチンまで結構あるし廊下は冷えるでしょ?
レイン:ウッ、そ、そうですね……
アダム:フィル……俺は、喉が乾いた……
ソフィア:自分で水くんできたら?
ヴァイパー:……はっはっは! 面白い方ですねえ。
ソフィア:あんた、誰?
ヴァイパー:ご挨拶が遅れ申し訳ございません。わたくし、宝石商のターナーと申します。
ソフィア:……
ヴァイパー:……
アダム:なに睨んでんだよ、フィル。失礼だぞ。この方は囮用の宝石を工面してくれたんだ。
ソフィア:ああ~! そうでしたか~! 大変だったでしょうあの宝石のかわりを用意するのは。
ヴァイパー:いえいえ、うちは常に幅広い在庫をとり揃えておりますので。
ソフィア:ほおほお。で、お店はどこに?
ヴァイパー:ウェストミンスターに。
ソフィア:ウェストミンスター?
ヴァイパー:はい。ウェストミンスタ-。
ソフィア:……そりゃすばらしい! 今度是非伺わせてください! オヤジへのプレゼントにタイピンでも贈ってやろうかと思ってたんだ。
ヴァイパー:ええ、是非お越しください。
にこにこ。
アダム:ったく。せっかく協力してくれるっていうのに突っかかるなよ……。
ソフィア:いやあすみません。疑うのが性分なもんで。
ヴァイパー:構いませんよ。それで、あなたは?
ソフィア:ん? ああ、俺はフィル・ライト。……情報屋です。
アダム:ん?
ソフィア:ン゛。
ヴァイパー:情報屋。
レイン:あっあっ、とっても面白いんですのよ、フィルさん! ネズミの効率的な取り方や、雨樋い(あまどい)の修理方法まで教えてくださって! 本当に物知りなんですの! しかも観察力もおありになって、えーと、小さなヒントから隠れている問題を見つけ出すのよ、そりゃもう(探偵みたいに)
ソフィア:(遮り)そんなに褒められると照れてしまいますよマイアお嬢様~! ぼかあしがない情報屋ですから~! いろんなことを知っているだけで~!
レイン:クッ……。
ヴァイパー:なるほどなるほど。ではなぜ情報屋のあなたが今宵この場に?
ソフィア:それはこっちのセリフですねえ。宝石商のあんたも、モノを売ったならお帰りいただいてもよろしかったのでは?
バチバチ
レイン:(小声)あわわわわわ
アダム:おいおいおい
ヴァイパー:……ふふ。わたくし、推理小説が大好きなんですよ。
ソフィア:はあ。
ヴァイパー:だから是非、この場に居合わせてみたくて。いえね、もちろんご協力いたしますよ。宝石のことでしたら何でもお答えできます。それに本当に怪盗が来て宝石を盗んだとして、すり替えトリックを使ったとしたら、判別できる人間が必要でしょう?
ソフィア:なるほどぉ?
ヴァイパー:もっとも今そこに展示されているのはわたくしがご用意したガラス玉ですけど……(レインに早く行けの視線を送る)
ソフィア:なんで知ってんだよそれェ!
レイン:(気づいて)あのう……
アダム:騒がしくして申し訳ない。どうしましたかな、お嬢さん。
レイン:父は……?
アダム:ああ、緊張で動悸がおさまらず苦しそうでしたので、もうおやすみいただきましたよ。宝石は我々警察が守りますから。
レイン:そうですか……
アダム:それで、お嬢様はこんな夜中にお部屋に戻らずどうしてここへ?
レイン:それがぁ、フィルさんに気に入られてしまったみたいでぇ、一緒にいろっていうんですぅ。正直眠たくてもう部屋へ戻りたいのですが……
アダム:なんだって? うちの連れがとんだ失礼を……! ここは大丈夫ですから、どうぞお部屋へお戻りください。
レイン:ありがとうございますぅ。父とガーネットをよろしくお願いいたします。
アダム:ええ。ご安心ください。
ソフィア:偶に居るんですよねえ~、小説をたくさん読んでいるからってほんとうに推理ができるかのように錯覚しているただの読者が。
ヴァイパー:わたくしもそんな愚かな読者の一人です。いいじゃないですか。まだ時間はあるんですから。お話しましょうよ。あなたも好きなんでしょう? 「ただの情報屋のクセに」ここにいるくらいなんですから。
ソフィア:コノヤロ……俺は刑事さんに情報を売ってるんですよええ。それであんたは今回の話、どこまで聞いてるんですかぁ?
ヴァイパー:このあと12時に怪盗がガーネットを盗むと予告状がきたってことですかね。
ソフィア:全部喋ってんじゃねえかヨォ……
ヴァイパー:それで? 情報屋さん。あなたさっき言ってましたねえ。「相手は予告状通りに、姿もなくものを盗んでいくんだろう。ってことはこの万全な状態でも、どうにか入ってくる」って。どうしてそこまで犯罪者を、そうですねえ、信頼できるのですか?
ソフィア:んなもん、このヤードのオッサンらがこれまで捕まえられなかったってことから明白だろ。今回だってオッサンらが考えた、全館施錠だとか、屋敷の包囲だとかは向こうだって当然予想済みだ。裏をかいてくるに決まってる。
ヴァイパー:ほお。でしたら、そうですねえ。私なら、わかりやすい隙を一つ作って、侵入経路を絞ります。たとえば、キッチンを無人にしておくとか。
ソフィア:ハン、いかにも素人の考えそうなことですねえ。そんなことしたらどこから入ってくるかますますわからなくなるでしょ。そんなバカじゃねえよ相手は。
ヴァイパー:買いますねえ。犯罪者を。会ったことも無いのに。
ソフィア:ああそりゃ、予告状の文字が美しかったからだよ。
ヴァイパー:はい?
ソフィア:あんな凝ったカリグラフィー、その手の職人か、几帳面で完璧主義でなきゃ書かねえだろ。それにTやAの横線、Rの払いが大胆に伸びていた。これは頭の回転が速いやつが好んで書く字だ。自信に満ちていて、豪胆。かつ仕事は丁寧に抜かりなく。もしかしたらすでに屋敷内に潜伏していたっておかしくはない。ああ、飾りの優美さ的には女性かもしれないなぁ。そうするとメイドに紛れているのか?ありえなくもないねえ。
ヴァイパー:……そこまで決めつけてかかるなんて、いっそ感心しますね。
ソフィア:コレは俺の手法でね。はじめに決めつけて、修正していくんだ。そうやって真相に近づいていく。人を解くのは、謎を解くのと同じくらい面白い。しかもこのブラック・ヴァイパーは、おそらく……
ヴァイパー:どうしました?
ソフィア:いや、これはちょっと傲慢かな。口に出すのはやめておこう。
ヴァイパー:そうですか。ところでそろそろ時間ですかね。ねえ、刑事さん?
アダム:ん? いや、まだ11時45分だが……
遠くの部屋でガラスが割れる音
アダム:ガラスの割れる音!? ど、どこだ!?
ソフィア:15分も早い……! うぇ、あれ? お嬢様は?
アダム:少し前に部屋に返したが!?
ソフィア:バカヒゲ!!
アダム:なんだと!?
ヴァイパー:喧嘩している場合ですか?
ソフィア:ここに現れないってことは、やっぱり狙いはマイア嬢だ!
アダム:なんだと!?!?
ソフィア:なんだとしか言えないのかヒゲ! 行くぞ!!
アダム:ああ!
ヴァイパー:……全く。末恐ろしい情報屋さんだ。
***
アダム:お嬢様!……窓が!
ソフィア:クソ! 分かってたのに守れなかった……!
アダム:わかってたなら教えろ!
ソフィア:部外者がいたから言えなかったんだよ!
アダム:ええい、今はいい! どこに連れ去ったんだ!?
ソフィア:……いやどうやって連れ去ったんだ? ここは2階だ。窓付近に樋(とい)もなく、壁には指を引っ掛けられる場所もない。
アダム:そんなこと考える必要あるか!?窓が割れて、お嬢さんがいなくなったんだぞ
ソフィア:部屋が綺麗すぎる。暴れなかった……? いや、自ら出ていったのか?
アダム:……何?
ソフィア:出ていったなら空でも飛べないと……もしかしてとんだ考え違いをしてる?
アダム:ブライ、あー、ソフィア、どうする!
ソフィア:……なぜ12時でなく、11時45分に窓が割れた?
アダム:じれったいな! 俺は外を見てくる!
ソフィア:あっ、待てヒゲ!
***
ヴァイパー:お帰り、レイン。
レイン:(本人)すみません。マダム。
ヴァイパー:早くメイド服に着替なさい。あの情報屋、随分と鋭いみたいだからねえ。すぐに戻ってくるよ。
レイン:はい。
ヴァイパー:一旦展示室を出よう。あたりを見て戻ってきたフリをする。それで……見たいものは見られたかい?
レイン:(着替えながら)はい。お父様は、私を大切に思っていなかった。守ったのはガーネットです。私は石ころ以下だった。心置きなく死ねます。
ヴァイパー:よろしい。お前の父親は選択を間違え、お前は怪盗に連れ去られた。このあとジェンキンス氏は娘をダシにゆすられ、ブルーガーネットと引き換えにお前の死体を受け取る。そこで悲劇は幕引き。マイアは死ぬ。
レイン:……お父様が、ブルーガーネットを差し出さなかった場合は? 可能性は高いです。そうすると私との契約内容のうち、ブルーガーネットをあなたに渡すという部分が成立しません。
ヴァイパー:大丈夫。本物のガーネットもこのまま
頂戴するからね。さあ、幕開けの時間だ。
レイン:……はい。
アダム:ターナーさん!
ヴァイパー:(演技)大丈夫でしたか!? 一階を見回りましたが、特に怪しい人影はありませんでした! ガラスを割って侵入するなんて、いかにも野蛮ですね、どの部屋か見つかりましたか?
アダム:お嬢様の部屋だ、マイアさんが連れ去られた!
ヴァイパー:それは大変だ! すぐ探しに行かないと!
レイン:(田舎者っぽく)お嬢さまが!? そりゃだいへん(大変)だ、わ、わたす(私)、メイドだぢをおごじでぎまずでさ!
アダム:ああ、頼む!
ソフィア:ちょっとまった。
レイン:へ!?
ソフィア:メイドさん、いつからここに?
レイン:(泣きそうに)が、ガラスのわれだおど(音)でどびおぎで、すんぱい(心配)になっだもんで、人がいそうなごご(此処)さ走っでぎだんですよぉ……
ソフィア:ふうん。ターナーさん、そうなの?
ヴァイパー:はい、キッチンを見にいってここに戻ってきたところで彼女と合流し、廊下の反対側を一緒に確認したんです。……そうだ、結局ガーネットは無事なんですか!?
ソフィア:(考え込んでいる)……。
アダム:そ、そうだな、確認しよう!
一同、展示室へ戻り、ガーネットを展示しているガラスの前に集まり、ショーケースの鍵を開ける。
アダム:ある……! ガーネットは無事だ!
ヴァイパー:いいえ違います、これは偽物だ。盗まれなかったか確認すべきは、本物ではないでしょうか? 本物はどこに?
ソフィア:11時59分……
アダム:あ、ああ!ここだ!
アダム、懐からガーネットを取りだす。
ヴァイパー:なんと、刑事さんが守っていたのですね……!
アダム:ああ、嘘をついてすまない。ジェンキンス氏と相談して、本人も行方を知らないようにしようと……
レイン:わああああ!
アダム:おう!?
ヴァイパー:だ、大丈夫ですかメイドさん!
レイン:も、もうしわげねえでスだ、刑事さん……部屋がぐらぐ(暗く)で……
アダム:ああいや、大丈夫、怪我はないか、お嬢さん。
レイン:はい、ちこっと膝すりむいだぐらいで……いてて……
ヴァイパー:大変だ……ガーネットが!
アダム:あッ……偽物と一緒に床に……! これじゃあどっちが本物かわからなくなっちまった! クソッ、はやくお嬢様を探しに行かないといけないのに!
ヴァイパー:見せてください! 両方とも!
アダム:あ、ああ! お願いします!
ヴァイパー:蝋燭を!
レイン:はいですだ!
ヴァイパー:……うん、こっちが本物です! 私を信じてください!
アダム:さすがプロの目利き! 信じますとも! こちらはジェンキンス氏に、私が責任をもってお返しします!
ヴァイパー:ではこちらは私が。ああ、お力になれてよかったです!
ソフィア:0時0分。
レイン:はやぐ、はやぐお嬢様を…!
アダム:そうだった! 外の警官たちに指示を
ソフィア:(手を叩く)
静寂。
ソフィア:誰も、外に、出るな。
アダム:ソフィア! お嬢さんが攫われたんだぞ!
ヴァイパー:そうですよ、急がないと遠くに行ってしまいます!
ソフィア:全員動くな。私の言う通りにしろ。……今から、ブラック・ヴァイパーを捕まえる。
アダム:はあ!?
ヴァイパー:……。
レイン:はわわ
ヴァイパー:では……お聞かせ願いましょうか。ブラック・ヴァイパーが、どこに潜んでいるのか。
ソフィア:状況を整理しようか……お嬢様の部屋の窓は内側から割られていた。外から割ったら破片は内側に飛び散るはずだ。だから窓を割ったのは怪盗じゃない。脳みそ筋肉だるま髭がお嬢様を部屋に返し、メイドたちはお嬢様の部屋に近づくなと命令されているから、順当に考えれば窓を割ったのはマイアお嬢様自身だ。
レイン:えッ……
ソフィア:なにか?
レイン:い、いや、お、おじょうさまが、じぶんで出でっだっで、ごどでスだ……?
ソフィア:さあね。部屋にはお嬢様の姿はなかった。それだけが事実だ。私とブラッドストリート警部は蝋燭をもってマイアの部屋へ直行。と言っても音から1分程度はあいているから暗い廊下にお嬢様が身を潜めていたら気づかなかったかもしれない。ミスター・ターナーは展示室を出て一階を捜索。訛の強いメイドさんは、部屋から起きてきた。他のメイドさんは起きなかったのか?
レイン:わ、わだす、耳がよぐで……
ソフィア:いいや違う。メイド用の晩飯に少量の眠り薬を混ぜておいた。怪盗が女でメイドに紛れていることを予想していたからだ。だから他のメイドたちはぐっすり眠っている。君はその晩飯を食べていないから起きることができた……というより、そもそも寝ていない。
レイン:ひッ
アダム:何? お前勝手にそんなことを!
ソフィア:ターナーさん。狙われているのがガーネットだと知りながらあなたは展示室を出た。話をきちんと理解していたら、怪盗はガーネットを捕りに展示室に来るとわかるはずだ。そしてあなたは馬鹿ではない。
ヴァイパー:それは……私も気が動転していたようです。
ソフィア:……いやいや、動転していたにしては匠にアダムを誘導したねえ? 多少無茶なシナリオだったがモノが無事だと一瞬安心した隙であればノせやすい。
ヴァイパー:……。
ソフィア:あんたは今宵ガーネットがすり替えられていることを知っていて、本物が今現在どこにあるかを確かめる必要があったんだ。だから居座ったんだよねえ。此処に。
アダム:まさかお前、ターナーさんがブラック・ヴァイパーだと、そう言いたいのか。
ヴァイパー:証拠は、あるんですかねえ?
ソフィア:まあ、見せられないけど、私は「識って」るんだよ。
ヴァイパー:何を?
ソフィア:ウェストミンスターの日の当たる処、あるいは陰鬱な路地裏、ネズミの通り道でさえも、ターナー宝石店なんて店はないってことをさ。
アダム:なっ
ソフィア:それに最も明確な証拠はね。12時きっかりに本物のガーネットまたはお嬢さんを手に入れていた人物。そいつがブラック・ヴァイパーさ。
ヴァイパー:ふふ、くくく……はっはっはっは! (本人で)ならあんた、僕のこと最初から疑ってたってワケ?
ソフィア:うん。いやー、あーんなそっくりなガラス玉持ってくる時点で都合良すぎるでしょ。
ヴァイパー:そこを怪しむとは。
ソフィア:完璧すぎて逆に怪しいって。
ヴァイパー:「決めつけて」いたんですね?
ソフィア:そうそう。とっても楽しかったよ。こんなにワクワクしたのは久しぶりだ。……正直、この夜が終わらなければいいのにって思ってる。
ヴァイパー:……僕も、少しだけ、楽しかったですよ。こんなに、ふふ、全部つまびらかにされたのは初めてです。
ソフィア:じゃ、その石、返して。
ヴァイパー:仕方ないですねえ。どうぞ。
互いににやにや。
アダム:ちょ、ちょっとまて、じゃあ、お嬢様は一体どこに消えちまったんだ!!
ソフィア:まだわかんないか。そこのメイドさんだよ。
レイン:え゛!? な、なんでバレてんスか!?!?
ソフィア:あんなにお部屋で語り合ったじゃないかァ。お芝居がとっても上手みたいだけど、「気に入った人」の声を忘れるわけがないだろう? 私はこれでも声フェチなんだ。
レイン:ご、ご主人さま!!
ヴァイパー:全く。付け焼き刃の変装じゃうまくいきませんでしたねえ。
レイン:ごごご、ごめんなさい
ヴァイパー:さて、どうするの? 捕まえる? 僕を。
ソフィア:ああ。義賊だかなんだか知らないけど、犯罪は犯罪だ。
ヴァイパー:そう、残念ね。
ソフィア:あんたとは別の形で出会いたかったな。
ヴァイパー:僕もよ。じゃあ、「さようなら、ソフィアちゃん」
ソフィア:え?
ヴァイパー:レイン! 目を閉じな!
レイン:はい!!
ソフィア:アダム! 抑えろ!
アダム:どっちを!?!?
ヴァイパー:はい、ぴっかん!(爆弾のようなもののピンを抜き投げる)
アダム/ソフィア:うっ!(眩しいのリアクション)
ヴァイパー:うふふふふ! 一つだけハズレだったわね、楽しませてくれたお礼に教えてあげる! 僕はねえ、男でもあり、女でもあるのよ。それから、あんたが思うよりずっと完璧主義なの!
ソフィア:くっそ、見えねぇ!
アダム:なんだ、爆弾か!?
レイン:早いです、早いですマダムーー!
ヴァイパー:ごきげんよう! 良い夜を!
二人分の足音、出ていく。
ソフィア:(本人)ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~やられた~~~~~~~~~~~~!!うそ~~~~~~~~~!
アダム:あの野郎、何を投げたんだ……!?
ソフィア:目ぇ痛い~~~~無理~~~~~~
アダム:とにかく外のやつらに……アイタッ!
ソフィア:暖炉の火ぃ消えてんなーとは思ってたんだよなあああ~~~これのためかよお~~~~
アダム:ああくそ! 説明しろブライト!
ソフィア:閃光粉(せんこうふん)……ただのカメラのフラッシュだよ……マグネシウムと硝酸カリウムの粉を一対一で混ぜ、着火すると強い光を放つんだ……くそ、まだ見えねえ……
アダム:お嬢様はどうするんだ、連れて行かれちまったぞ……
ソフィア:……連れて行かれたんじゃない、自分から付いていったんだよ。
アダム:あ?
ソフィア:部屋で予告状の話をしたときに、文言を言う前に彼女、「ガーネットを守るためにあんなに刑事さんが」って言ったんだ。
アダム:それだけでなんで自分で付いていったことになるんだ…?
ソフィア:つまりさ、これはきっと、マイアお嬢様が立てた計画だ。父親からの愛を確かめるためにね。
***
ヴァイパー:(鼻歌)
レイン:(本人)葬式だってのにご機嫌ですね、マダム。
ヴァイパー:(女で)ええとっても。こんなに気分が高揚したのは初めて。今でもドキドキしてるの。それに結局、あんたのお父様は本物のブルーガーネットを送ってくれたし。あんたも楽しかったでしょう?
レイン:楽し、くは、なかったですけど。
ヴァイパー:そう? で、どう? 自分のお葬式を見る気分は。
レイン:気分は、あー、どうだろ、めっちゃいいです。スッキリしました。お父様ったら呆然としてるし。少しは泣いてくれるかと思ったのに。そんなになるくらいなら最初っから大切にしとけって感じです。
ヴァイパー:ふふ、まだまだお子様ね。
レイン:なんですか?
ヴァイパー:いいえ。なんでも。
レイン:そうですか? でもびっくりしましたよ、死体も替え玉を用意するなんて。
ヴァイパー:簡単よ。遺体安置所に警備なんていないんだから。盗み放題。
レイン:あれは怖かったです……深夜の……うぇ……思い出しちゃった……
ヴァイパー:にしても。あんたのおかげよ。私の犯罪計画を、見抜けるヒトに出会えるなんて思いもしなかった……。
レイン:あのフィル・ライトとかいうやつ、なにもんなんですかね。
ヴァイパー:ふふ、また会いたいねえ。悔しがる顔が見たい。今回は私の勝ち。次も絶対負けない。ねえ……ソフィアちゃん。
レイン:え? ソフィア?
ヴァイパー:行くよぉ、レイン。
レイン:あっ、あっ、まってください、マダム~~!
******
ソフィア:(M)……その後ソフィア・ブライトは、あの夜を思い返すたびに心臓の痛みを感じていた。なんだこれは。病気か。あの蛇の毒にやられたのか。うっそりと自分の名を呼ぶ声が耳から離れない。血液が沸騰するみたいだ。初めて負けた。謎は解いたのに、予告状通りに大切なものを盗まれた。宝石より大事だと、愛情を示してやれとあのぼんくら親父を説き伏せて、本物のガーネットを送らせたのに、お嬢様は死んでしまった。最悪の敗北だ。完膚なきまでの大敗だ。
アダム:ソフィア・ブライト! 事件だ!
ソフィア:それなのに、ああはやく、はやくまた、あの蛇に会いたい。あの毒蛇が仕掛ける謎に絡め取られたい。
アダム:お嬢様のことで気落ちしてるのはわかるが……イースト・エンドで連続殺人事件だ。頭を貸せ。
ソフィア:……ねえ。ヴァイパー。次は絶対、捕まえる。
END
2024.02.11