この作品は、2024年12月12~15日に開催された ナンカダレカ舞台「禍福倚伏話集」のために描き下ろし、朗読劇として上演されました。
概要
大正時代っぽい時代の、日本っぽいどこかの国で。
女学校に通う3人の学生と、その教師。それぞれが「女としての生き方」にとらわれていた。
折り合いをつけた女、真っ向から戦った女、上手く交わして立ち回る女、掬い上げられ居場所を得た女。
男だ女だではない。いつだって私たちは、「〇〇らしさ」を望まれているのだ。
- 所要時間:約30分
- 人数:女性4
- ジャンル:大正ロマン、人情
登場人物
- ユキ
鉄成金。戦争特需で成り上がった中産階級の家の娘。カネができたから見栄の為に女学校へ入れられた。礼儀正しい記憶の淑女にならなければならないが、自分の言いたいことと違うことを言うのは気持ち悪い。 - 伊鶴
- 梅子
- 秦野先生
女学校の先生。貧しい育ちがいやで、自分で稼ぐことにした。田舎の小学校の教師だったが、もっと稼ぐため試験を受けて帝都へ。「女教師」かくあるべし(生得的な母性をもって生徒を教育すべし、住めば都と思うべし、結婚をせず教育に従事すべし)を、くだらないと思っているが、教師である間は「教師を演じる」。休日はモガ。
本編
■ユキの別邸
伊鶴:ごめんくださーい! 先生! 「少女ノオト」ですー! 雪平先生〜! 今月の原稿いただきにきました〜!
伊鶴:ん〜?……入りますよ〜。先生〜原稿は……あれ?
伊鶴:「書けなくなりました。探さないでください 雪平正一」
伊鶴:またぁ!?
■カフェー
ユキ:はぁ……燦々と降り注ぐ太陽の光は、ソーダ水をこんなにも煌めかせているのに……私の心は梅雨の曇天のごとくくすむばかり……今月もだめだったか……
梅子:ユキさん?
ユキ:(見る)う、梅子お姉様!
梅子:嫌だわ、もう卒業したのだからお姉様はやめてちょうだい。
ユキ:(狼狽え)お姉様はいつまでもお姉様ですわ……!
梅子:ユキさんったら、変わってないのね。
ユキ:まさか、ほんとに来てくださるなんて……奇跡ですか……
梅子:あなたが呼んだんじゃないの。「今月末も、日曜午後にパーラーで待っています」って。よくもまあ毎月毎月、あらゆる雑誌にあんな歯の浮くような内容の投書を……
ユキ:投書職人を舐めないでください。
梅子:そうでした。学生の時分から書き物がめっぽう得意でしたね。今日は、アレを辞めさせにきましたの。あっちこっちの婦人向け雑誌に、ご丁寧に文面を変えて投書を送るなんて。紙面でも「梅子さんとやら、こんなに熱烈なラブレタァを無視なさるなんて、人の心がおありですの?」なんて他の人にも書かれて恥ずかしいったら!
ユキ:一縷の望みでしたが……仕事のツテを使って掲載欄にねじ込んでもらったんです。出版社とは仲良しなもので。
梅子:あらまあ。悪い子。
ユキ:だってお姉様ったら、学期の途中で行方がわからなくなってしまったんだもの。私にすら行き先を教えてくれないなんてひどいんじゃありません?
梅子:それは申し訳ないことをしたと思うわ。でもあの時は私もいっぱいいっぱいだったのよ。
ユキ:じゃあ、聞かせてくれるんですか。あの時のこと。
■大八島帝都高等女学校(おおやしま・ていと・こうとうじょがっこう)
ユキ:ごきげんよう。
伊鶴:ごきげんよう。
梅子:ごきげんよう。
秦野:ごきげんよう。
※会話ではなく、セリフが入り混じり時に同時に発話され、誰が誰だかわからない状態。秦野の長セリフ裏で三人が話している。(学生三人のセリフは聞き取れなくてOK)▶配信等セリフ被せが不可能な場合は学生たちのシーンが終わってから秦野の長台詞に入る。
ユキ:先輩! お手紙を書いてきました、よろしければお読みになってください!
伊鶴:お父様、学校に通っている間くらい好きにさせてくださいまし。
梅子:ありがとう、かわいい人。きっとお返事を書きますね。
ユキ:お姉様からのお手紙だわ! まあうれしい、外出のお誘いよ。
伊鶴:私、許婚がいるの。卒業したら結婚するんだわ。ああ、いやだ。
梅子:私、幸せだわ。こうやって慕ってくれる後輩がいて。
伊鶴:今だけ、今だけなの。わたしたちがこうやって、自分らしくいられるのは。
ユキ:どうして? お姉様! わたしたち仲良しでしょう?
梅子:卒業したらきっと、「ちゃんとした女性」になりますから。
伊鶴:なんにでも挑戦してみましょうよ、どうせ今だけなんだから。
秦野:我が校、大八島帝都高等女学校(おおやしま・ていと・こうとうじょがっこう)が目指す女性像とは。「清く、正しく、美しく。品格と教養ある良妻賢母」。国を支えるのは、家を支える良き妻、良き母、つまり女性たちであります。年頃の少女は、導きがなければいかようにも染まってしまう純白の存在。国を背負ってゆく少女たちを正しく導くのもまた大人の役目。だから今だけは――
梅子:わたしたち、お別れしましょう。ユキさん。
■茶室
ユキ:あああああ! なんでえええええお姉様ああああ~~! 無理無理無理~~~お姉様と離れるなんて無理~~! 学校やめるぅ~!
伊鶴:え。
ユキ:あ。
伊鶴:……。
ユキ:……ご、ごきげんよう。伊鶴さん。
伊鶴:ごきげんよう……。今の声ユキさん?
ユキ:………………いいえ?
伊鶴:あら~まあ~~意外~。ユキさんって、成金の割におしとやか~でお嬢様~って感じだと思ってたわ~へえ~。
ユキ:なんのことかしら。
伊鶴:一人のときは机に突っ伏して泣き叫ぶような子だったのね~。
ユキ:そんなはしたないことしません。
伊鶴:そんなこといっても見ちゃったし。
ユキ:そういう伊鶴さんは名のあるおうちのご令嬢にしてはガサツでお口が少々はしたないと常々思っていましたわ。
伊鶴:はあ? 何キレてんの?
ユキ:キレてません。今見たことは忘れて。他言しないで。
伊鶴:え〜。人に物を頼む時の言い方?それ。やだ。
ユキ:伊鶴さん!
伊鶴:黙ってることであたしに得がないもん。
ユキ:損だってないでしょう。
伊鶴:あ、そーだ、じゃあ〜あたしの遊び相手になって?
ユキ:嫌ですけど。
伊鶴:周りにバラされたくないんだよねえ? そっかそっかあ、成金の中産階級が必死こいて娘一人女学校に入れてるんだもんねえ? 大変だよねえ?
ユキ:嫌なやつ!
伊鶴:図星? 図星〜?
ユキ:私は家族のために本物の淑女にならなければいけないの! お父様を失望させるわけにはいかない! これで満足!?
伊鶴:ねね、それで男爵家の、「ホンモノの」ご令嬢である梅子さんに近づいたの?
ユキ:違っ――
伊鶴:そうだよねえ、梅子さんを真似していればとっても素敵なお嬢さまになれるもんねえ。
ユキ:だから違うってば!
伊鶴:あーおっかし〜。
ユキ:人を怒らせるのがそんなに楽しい!?
伊鶴:うん。あんた、気に入ったわ。友達になろ。
ユキ:はぁ?
秦野:静かに。講義を始めますよ。鋏と器は準備できていますね?
伊鶴:はーい、せんせー。
秦野:伊鶴さん。返事は伸ばさない。
伊鶴:はい、はい。
秦野:はいは一回!
伊鶴:へい
秦野:全く。
ユキ:秦野先生、生花の講義なのに今日はどうしてお茶室でやるんですか?
秦野:今日は掛け花(かけばな)の稽古です。床の間の花釘に花器を吊るして飾ります。空間を意識して生けてください。出来上がったら実際に釘に掛けてみましょう。では、始め。
伊鶴:うえっ、今日の植物なに? 超うねってる。
ユキ:ツルウメモドキよ。
伊鶴:ほー……? それはツルウメのモドキなの? ツルのウメモドキなの?
ユキ:ウメに似ているウメモドキ、に似ている蔓性の植物。ツルウメモドキ。
伊鶴:二重にもどいている。
ユキ:俳句では字数合わせでツルモドキとも呼ばれる。
伊鶴:ずいぶん詳しいね。
ユキ:……私みたいだったから。
伊鶴:んー切りにくいなぁこれ。
秦野:枝ものは斜めに刃を入れるとなんども教えたでしょう。
伊鶴:はーい。
秦野:伸ばさない!
伊鶴:はい。……(小声)で、なんでさっきあんなに取り乱してたの?
ユキ:なんで話さなきゃいけないの。
伊鶴:いいじゃん、みんな喋りながらやってんだから。
ユキ:……うるさい。
伊鶴:お嬢様を保てないくらいなんかあったんでしょ? 悩み聞くよぉ?
ユキ:……
◆回想
ユキ:梅子お姉様! なんですの? お話って。
梅子:ねえ、ユキさん。わたし、この学校生活、楽しかったわ。とても。
ユキ:はい、わたしも毎日楽しいです、お姉様といっしょにいられて。最近お姉様変ですよ、どうしたんですか、急に。
梅子:あなた、自分の意思はお持ちになって?
ユキ:え?
梅子:わたしの真似ばかりしていないで、しっかりなさい。わたしがいなくなったらどうするおつもり?
ユキ:お姉様、いなくなるんですか?
梅子:……わたしももう5年生よ。来年には卒業します。
ユキ:卒業しても会えますよね? なんなら着いていきますわ。お姉様、連れて行ってください、どこへでも!
梅子:やめて! わたしと同じ物を持って、わたしのあとをついてまわって、わたしが言ったことを鵜呑みにし、同じことを口にして、それでは生きて行かれないわ。
ユキ:突然なにを言い出すんですか。お姉様が教えてくれたのよ、身の振る舞い方、女学生としての「正しい」あり方、返答の仕方、ものの選び方。
梅子:……わたしがあなたをそうさせてしまったのね。ごめんなさい。
ユキ:どうして謝るんです。
梅子:わたしたち、お別れしましょう。ユキさん。
■茶室
ユキ:どうせ私はウメモドキなんだわ……きっとついて回って真似ばかりする私がうっとおしくなってお姉様は……
伊鶴:感傷的ねえ~。
ユキ:何がいけなかったんでしょう、お姉様のハンケチーフのブランドを突き止めたこと? お姉様に朝夕、愛のお手紙をお送りしたこと? お姉様をモデルに小説を書いていたこと?
伊鶴:まあまあやってるじゃないの……。でも~、姉妹の契り、「エス」なんてそんなもんじゃない? うちの学生たちみーんなそれにのめり込んでる。上級生と下級生の疑似恋愛。お姉様と一つになりたい、同じものを持ちたい、親友であり妹であり恋人であり家族でありたい、その人自身になりたい、そんなとち狂った遊び。梅子さんだってそんなこと承知の上なんだから、急に突き放した梅子さんを恨めばいいじゃない。
ユキ:なんてひどい言い方するの! お姉様を恨めだなんて……いいえ、なにか私に悪いところがあったのよ……。
伊鶴:ほぉー「帝都女学校の学生は謙虚たれ」。実践してんね~。
ユキ:伊鶴さん!
秦野:お二人とも。ずいぶんとおしゃべりがお上手ですねぇ。つまりは、生け終わったのでしょうね?
ユキ・伊鶴:まだです。
秦野:足元隠しが足りなければ取りにいらっしゃい。
伊鶴:……秦野先生って基本笑顔だけど目笑って無くて怖いよね。真面目でつまんないし。四角四面で、アレはだめコレはだめって……あたし、ああはなりたくないわ。ユキさんはどう?
ユキ:わたしは……梅子お姉様になりたい。
伊鶴:あーはいはい。そのお姉様に振られたんでしょ。
ユキ:お姉様、なんでぇ……
伊鶴:本人に聞いてみれば?
ユキ:本人に……
■教務室
秦野:久我梅子さん。卒業まで待ってもらうことはできないのですか?
梅子:はい。先方は貿易商でして、東の海を超えて外つ国へ発つそうです。一度航行に出れば数ヶ月は戻りません。久我家は先祖より共通語を継承してきましたから、通訳を雇うより、身内になる私を連れていきたいのでしょうね。
秦野:共通語の成績は一番ですし、教えることがもはやないくらいですよ。しかしあなたはまだ学生です。
梅子:……私を世に出すのは心配ですか。帝都女学校の生徒として恥ずかしいですか。私は、先生方の教えを忠実に守ってきました。修身、和語、数学、共通語、お裁縫……バイオリンは少し苦手だけれど、お琴なら弾けます。先生方が私達に叩き込んだ、「女の生き方」も全て理解しています! 私は立派にやっていけるんです!
秦野:梅子さん。あなたはとても優秀です。私たち教師が教えることをなんでも吸収し言われた通りに大抵のことはできてしまいます。
梅子:だったらどうして――
秦野:だからこそ、世間に出る前に、まだ学ぶべきことがある。
■帰り道
ユキ:はぁー、お姉様、結局一日中会えなかったわ……靴箱にお手紙もなかったし……
伊鶴:陰気臭いなぁ
ユキ:伊鶴さん、今朝からずいぶんと絡んできますけど、私たちなかよしじゃなくてよ。
伊鶴:友達になろって言ったじゃん。
ユキ:私は了承していません。
伊鶴:ねえー、その喋り方あんたらしくないよ。嘘くさいったらない。
ユキ:……あんたに私らしさなんてわかんの?
伊鶴:おー、そっちそっち!
ユキ:だから!
伊鶴:人間らしくなったじゃーん
ユキ:はぁ?
伊鶴:ねえ、ユキさん。感じたことはない? この世には、人間と、「人間もどき」がいるって。
ユキ:何言ってるの。
伊鶴:あたしはね、人間もどきになりたくないの。
ユキ:人間もどき?
伊鶴:ユキさん、昨日まではまるで「人間もどき」だった。でも今朝は違った。だから興味が湧いた。何があなたを変えたの? どうしたら私は「人間もどき」にならなくて済む?
ユキ:……まずもって「人間もどき」ってなに。
伊鶴:そうだなあ。無理に話を合わせてみたり、面白くもないのに一緒に笑ってみたり。話しかければ、魂のないような、判を押したような、どこかで聞いたセリフが返ってくることはない? 真実を体内に持たず、嘘ばかりを口にする人をみたことは?
ユキ:それが、昨日までの私?
伊鶴:そう。
ユキ:嘘をついていた自覚はないけれど……
伊鶴:思ってもないことを言ってはいたでしょ。
ユキ:それは、だって得になる文言を選んでいたからで……
伊鶴:それだよ。あたしにはそれができない。思ったことをすぐ言っちゃうから。でも、卒業したら、結婚して家庭に入り、子供を産んで育てることになる。夫の言うことに逆らわず、相手を立てて愛想良くする「人間もどき」になるようきっと求められる。でもそれは嫌だ。そんな空虚なモノになりたくない。
ユキ:なんでそんなに必死なの?
伊鶴:婚約者が決まって。
ユキ:ああ……。あなたも、「本物の」お嬢さまだもんね。
■帰り道2
伊鶴:夕暮れの街を後ろに走らせてゆく電車。ガタンゴトンと人を運ぶ。窓から差し込む光は傾き、輪郭を濁らせる。人か、人でないものか。一目に見分けは付き難い。
ユキ:タバコを咥え、新聞に目を落とす男たち。風呂敷を抱え、息子の手を引く女たち。咳をする子供たち。
伊鶴:煙で霞む車内。
ユキ:席が2つ空いた。女はすかさず子供を座らせ、隣に腰かける。
秦野:席を譲ってくださいませんか。足が悪いんです。どなたか、席を譲ってくださいませんか。
伊鶴:一瞬の逡巡が車内を走る。だれが席を譲るかの攻防戦。
ユキ:手に入れたばかりの席を明け渡したくない母親が口を引き結ぶ。
伊鶴:子供を膝に抱えればひと席開こうものを、と新聞越しに睨めつけるサラリーマン。
梅子:まあ、こちらにお座りになって、おばあさん。
秦野:悪いねぇ、お嬢さん。
梅子:いいんです。
ユキ:模範的な女学生にとって、弱きものに親切であることは義務である。
伊鶴:それは生得的な弱者への慈しみからか、その女学生の女学生たる矜持からか。
※梅子は顔を隠している。秦野はにこやかさがおさえられクールな感じ。
伊鶴:華やかな街並み。色とりどりのパラソルが空を染めるカフェーのテラス。
ユキ:輝くソーダ水に浮かぶアイスクリームの島をつつく、髪を短くした女。
秦野:女性だってタバコを吸っていいし、好きな服を着て、好きに生きるべきじゃない?
梅子:はしたない。女性は良き妻、良き母として、粛々と、貞淑に、謙虚に、生きるべきなのだ。
秦野:そんなのナンセンスだわ。女か男かにかかわらず、自分の感性を信じて、身体的感覚を抱き締めて、思ったことを上手に表に出して、一人の人間として自分を表現していくのよ。そういう時代にきっとなる。
梅子:いいえいいえ、この人と決められた夫に付き従い、馬鹿にされようが下に見られようが、話を合わせてやり過ごし、曖昧に笑って愛想をよくし、いつも機嫌を保って人に努めることです。馬鹿のフリをする必要はあれど、家庭を守る仕事は馬鹿にはつとまりません。そのために教養がある。……あなたがそう言ったのでしょう、先生。
秦野:そうですとも。時代は変わる。変わりつつある。あなたたち少女には、自分を守るための術が必要です。話を合わせてやり過ごし、曖昧に笑って愛想をよくし、いつも機嫌を保って人につとめ、良妻賢母を演じる術は、あなた方の身を守る。そのような姿を上手に見せれば、腹の底では何を思ってもいいのです。いいえ、常に感じていないといけません。「演じて見せている自分」に飲み込まれてはいけません。
梅子:私はもはや何も感じない。私は男爵家に生まれ、良き娘であろうと努めてまいりました。私が感じたことよりも、父のため母のため、兄のため姉のため一族のため、どう振る舞うべきか、どの言葉を口に出すべきか。どちらの着物をどちらのかんざしをどちらの友人を選ぶべきか。そのように考えるのが得意になってしまいましたの。
秦野:このソーダ水については?
梅子:……煌めきが眩しゅうございますわ。
秦野:その煌めきは、好ましい?
梅子:さあ、私にはわかりません。
秦野:あなたのかわいらしい後輩のことは?
梅子:さあ。私には、わかりません。
伊鶴:あれ? もしかして秦野先生?
秦野:あら伊鶴さん、ユキさん、ごきげんよう。
ユキ:ごきげんよう、あの、随分と、普段と比べて……お派手でいらっしゃる。
秦野:どう思う?
ユキ:どう、と言われましても。
秦野:忌憚なく。成績には関わりません。
ユキ:僭越ながら申し上げますと、不良っぽい……というか。西洋かぶれ……というか……。
伊鶴:あたしはかっこいいと思いますよ。
秦野:ありがとう。どちらの意見も受け止めます。それがあなた方の感性。
伊鶴:先生、モガだったんですね。
ユキ:モガ?
伊鶴:モダンガールよ。ハイカラな女性たち。
秦野:今の私は教師ではありません。ですから、「女らしい理想の女教師」を演じない。「生得的な母性本能」でもって子供達を愛し、「終身結婚しない覚悟」を掲げ、「家庭と仕事を両立する」だなんて、ダブルスタンダァドに付き合う必要もない。それで? あなた方もお休みを楽しんでいるの?
伊鶴:はい、今日は散策で。
ユキ:いいえ、この人にひっぱりまわされて……
伊鶴:ちょっとひどい。
ユキ:事実じゃないの。
伊鶴:あの、先生。
秦野:なあに。
伊鶴:あたし、先生のことつまらない人だと思っていました。お父様や世間がいうような、女の生き方を押し付けるだけの、「大人らしい大人」だと。
秦野:そう。それでいいんじゃない? だって私、そのように振る舞っていますから。
伊鶴:……こっちの先生が、「本物」なんですか?
秦野:……そうね、そう言っても差し支えないかしら。別に教師をしている自分が偽物ってわけでもないけど。
伊鶴:辛くないんですか? 学校にいる間。
秦野:別に。あそこにいるのは私じゃなくて「秦野先生」。自分のことは自分がきちんと知っていれば結構。
ユキ:そういう格好をして、家族とか、親戚とかに「変」って言われません?
秦野:言われます。でもだから何? 私は教師として生計を立てている。親に養われる子供じゃないの。だから私がどう生きようと、口をだす権利は誰にもない。ただし、雇い主である校長先生のご方針には従って、学校では、帝都女学校の模範的な教師らしく振る舞ってあげます。
伊鶴:どうしたら、先生みたいになれます?
秦野:伊鶴さんのおうちは難しいでしょうね。それでも自分を貫く気持ちがおありなら、その時は相談に乗ります。
伊鶴:……そうですか。ありがとうございます。いこ、ユキさん。活動写真が終わっちゃう。
ユキ:あ、うん。ごきげんよう、先生。
秦野:ごきげんよう。
秦野:ユキさんとお話しなくてよかったの? 梅子さん。
梅子:いいんです。顔を合わせる資格がありません。
秦野:資格でなく、勇気がないっていうのです。それは。
梅子:それにこんな格好じゃ、ユキさんの理想の姉じゃない……あの子も「変」って言っていたし……
秦野:その服は私が見立てたけれど、あなたがご自分で着てみたいと言いましたね。自分の選択を自分で貶めるのはおやめなさい。堂々となさいな。誰かに変と言われる度に自分の感性を殺していけば、一生死に続けることになるわよ。
梅子:死に、続ける……
ユキ:ツルウメモドキの実は、寒さに耐えて赤く染まる。
伊鶴:熟れきった実が落ちる。潰れて初めて、血が通っていることに気づく。
梅子:ウメモドキもツルモドキも、ウメになろうともがいて捻くれている。
秦野:そのウメだって、幹が腐って空洞になっているともしらずに。
(さようならの意味で)
ユキ:ごきげんよう、伊鶴さん。
伊鶴:ごきげんよう、梅子先輩。
梅子:ごきげんよう、秦野先生。
秦野:ごきげんよう、みなさん。
■現代・カフェー
ユキ:あの時あそこにいたの、梅子お姉様だったんですか!?
梅子:実はそうなの。啖呵を切った手前、ユキさんと顔を合わせるのが心苦しくて……
ユキ:結局お会いできずに、お姉様は学校をやめてしまって悲しかったんです。
梅子:ごめんなさいね。卒業を待たずに結婚したの。それで遠くの国でしばらく過ごしていて。
ユキ:いつお戻りに?
梅子:半年前くらいね。母に頼んで「婦人の友」の雑誌を送ってもらっていたの。だから、ずいぶん長い間ユキさんが私を探してくれていることにも気づいていました。
ユキ:投書欄でお返事をくれればよかったのに……
梅子:私にはあの、皆さんがやられているようなロマンチックな文章は書けないわ。
ユキ:あんなの別に、ただの流行りですよ。
梅子:私、本当は苦しかったのかもしれないわ。あなたが慕ってくれていたこと。ユキさんが私に求めていたのは、私が演じていた「お嬢様」としての一面だった。
ユキ:……それは、ごめんなさい。私は本物のお嬢様になるべしと父に言われていました。入学してすぐに見つけた、一番所作の綺麗な先輩に声をかけたんです。でも、梅子お姉様のことが好きだったのは本当でーー
梅子:いいの。それはちゃんと伝わっていたわ。お見合いの申し入れがきて、夫と初めて会った時に「作り物みたいだね」って言われたの。私は困惑したけれど、今までは「お父様が好きな私」をやっていて、それがお気に召さなかったのだと思って、「夫が好きな私」になるように努めた。ねえ、ユキさんとお別れするときに私が言ったこと、覚えてる?
ユキ:忘れるなんてできません。「あなた、自分の意思はお持ちになって? わたしの真似ばかりしていないで、しっかりなさい。わたしがいなくなったらどうするおつもり?」
梅子:「わたしが言ったことを鵜呑みにし同じことを口にして、それでは生きて行かれないわ」……実はね、これ全部夫に言われたことなの。
ユキ:ええ?
梅子:私たちはお互いにとって、姉妹にも、友達にも、家族にも、恋人にも、ライバルにもなりたくて。溶け合って一つの生命体になってしまいたくて、そういうものを愛情だと思っていたわね。でも夫は違った。共に前を向いて、隣を歩いて、補い合って、間違えた時にはただして、たまに対立して、家庭という戦場を乗り越えられる戦友を求めていた。
ユキ:なんだか、大人ですね。
梅子:私たちは結婚する相手を選べない。家のために親が選んだ人の元へゆく。どんな人が現れても合わせられるように、さまざまなお稽古をして、余計なことをしないよう心を抑える訓練を積んできたっていうのに、夫は「どうして口答えしないんだ、お前は何を想い、何を好むんだ」っていうのよ。困っちゃうでしょ。
ユキ:私、昔のお姉様の憂いのある微笑みがとっても好きでしたけれど、今の明るいお顔も素敵だとおもいます。旦那様との生活で、ずいぶん肩の荷が降りたのでしょうね。
梅子:ええ。夫はスパルタ式教育なのよ。たとえばね、着物を買ってくださるっていう時に、私は自分がどの柄が好きなのかわからなかった。呉服屋の女将さんがさまざまな布地を見せてくれて、ご迷惑をかけているんじゃないかって思って適当に選んだら、見抜かれてしまったの。「本当に心が動いたものを選ぶまで店から出ない」って。「心が動く感覚なんてわからない」って言ったら、「体に変化があるはずだ」って言うの。それで女将さんにも火をつけてしまったみたいで、三時間も布とにらめっこしたのよ。
ユキ:三時間!? それは、根気が要りましたねえ
梅子:それがね、この着物。私、初めて自分で何かを選んだの。私って、選んでもいいのよ。
ユキ:……とっても似合ってます。
梅子:ありがとう。もちろんパーティだとか、そういう場では淑女らしく振る舞っているわ。私たちの専売特許だものね。夫は「お嬢様」をしている私を見てとっても居心地悪そうだけれど。
ユキ:良い出会いだったんですね。
梅子:本当に。
ユキ:……
梅子:あら、もしかして、嫉妬してる?
ユキ:いいえ。ただ悔しいだけです。
梅子:悔しい?
ユキ:お姉様は、屈託のない笑顔の方が美しいってことに気づけなくて。
梅子:(声をあげて笑う)ユキさんは、作家さんなのでしょう?
ユキ:お気づきに?
梅子:雪平正一先生。男性名だけど、雑誌に掲載された小説の文体が、ユキさんからのお手紙そのものでした。それに内容のいくつかは身に覚えがあって。私たちのお話よね?
ユキ:あちゃあ。出演料をお支払いしましょうか?
梅子:(笑う)ユキさんは強いのね。自分の好きなことを貫く道を選んだ。
ユキ:いいえ。友人が手を引っ張ってくれてやっと歩き出せただけです。批判を恐れてコソコソと書き物をしている、意思の弱い女ですよ。私も婚約しましたから、家や外では淑女を演じています。周囲の人を騙しているようで心苦しいですが。
梅子:私たちがしっかりとあそこで学んだ、生きるための武器よ。
伊鶴:あ! いたいた! 雪平先生!
ユキ:げ、伊鶴さん……
伊鶴:先生〜、げ・ん・こ・う!
ユキ:ごめんなさいごめんなさい! 途中までは書いてあって! あとオチだけだから! ほんとに!
伊鶴:全く〜。……あれ、もしかして、梅子先輩?
梅子:私のことご存知?
伊鶴:ユキさんと同じ組だったんですよ。ご無沙汰しております。
梅子:先生、ってことは……
伊鶴:ああ、私、出版社で働いてるんです。この子を金のなる木にするために。
梅子:まさに職業婦人ね。とっても素晴らしいわ。
伊鶴:先輩はご結婚されて?
梅子:ええ。私には家庭が向いているみたい。
伊鶴:なるほど。さすが帝都女学校卒業生。
梅子:ええ。本当の自分は、美しい思い出は、あの学舎(まなびや)に置いてきた。世間の荒波は厳しいかもしれない。けれど腹の底に自分がいれば、いくらでも演じてあげられる。元帝都女学生としての誇りを持って生きていきましょう。だって私たち。
※配信等、3人で声を合わせるのが不可能な場合は、ユキが言う。
ユキ・伊鶴・梅子:人間もどきですもの。
<おわり。>
2024.09.16.