お引越し中につき、あちこち工事がおわっておりません(特にショップ)。ネット声劇・個人での練習以外でご利用の際はご連絡くださいませ。

帝都トキワ6区『喫茶日向の平穏』【♂2:♀2:1】30分

概要

大八島帝都トキワ6区にある、喫茶「日向」。とても穏やかで、平和で、変わり映えのなく、普通な毎日が繰り返されている。

  • 所要時間:約30分
  • 人数:男性2 女性2 不問1
  • ジャンル:和風、ファンタジー、大正

登場人物

  • 清夏
       十和田 清夏(トワダ・キヨカ):喫茶日向を切り盛りするマスター。ツクシノシマ出身。元飛空艇乗り。コーヒーが好き。その豆は密輸入したもの。
  • ユキ
    大八島帝都高等女学院の生徒。突然消えた「お姉様」を探している。(お姉様とは実の姉妹でなく、仲のいい先輩のこと。) お姉様とやり取りしていた交換日記を抱えて日々泣き暮らす。女学生言葉で話す。
  • 与一
    与一(ヨイチ):警官。芙蓉目当てで日向に通い詰める。とある事件を追っている。
  • 七瀬
    七瀬(ナナセ):整備士。元空賊の乗組員。空賊から足を洗いたい。自分の船を持ちたい。※女性が演じる場合は俺系の姉御。アタシとかアタイとかに変えてもOK
  • 芙蓉
    芙蓉(フヨウ):女給。異国人。密航・密入国者。不純喫茶で働いていた過去がある。生きていくのに金が必要。

本編

■喫茶・日向《ヒムカ》/日曜・朝

清夏:(M)朝6時。店先を竹の箒で掃く。それが「喫茶・日向《ヒムカ》」の平穏な一日の始まり。玄関とは、ある種の「結界」でありまして、店に良いお客様を迎えるためには、美しい玄関である必要があるのです。

清夏:おや、もう萎れてしまいましたか……。
清夏:(M)メニューを書いたボードの脇には花瓶を置き、紫陽花の切り花を挿しておきました。帝都4区にある花屋「ベアトリス」の店長は、たいそう植物を愛しておられます。「紫陽花は水が揚がらないからうんぬん」と、身振り手振りをもって丁寧に教えていただいたのは数日前のこと。

清夏:(M)小刀で茎を斜めに切り戻し、刃先で茎に詰まった綿を掻き出す。花びらのように見える萼《がく》の先まで行き届くことを祈って、新しい水で満たした花瓶にもう一度紫陽花を挿しました。

ユキ:(落ち込んで)ごきげんよう。マスター。まあ、立派な紫陽花ですわね。

清夏:おはようございます、ユキさん。どうぞ中へ。

ユキ:お邪魔しますわ。

清夏:(M)ユキさんは、帝都3区にある女学校に通う生徒さんです。学校が休みの日に良く訪れてくださいます。ほかの女学生さんは新しくできたパーラーで、ソーダ水を啜りながら少女らしく雑談に花を咲かせている姿を見かけますが、3区にお住まいのはずのユキさんはわざわざ6区まで出向き、路地裏の陰めいた喫茶・日向《ヒムカ》でひと時の平穏を過ごされるので――

ユキ:(食ってはいる/泣き)わあああああああん!

清夏:どうされました、ユキさん。

ユキ:聞いてくださいまし!

清夏:ええ、聞きますとも。

ユキ:お姉様が、お姉様がァ〜〜〜〜

清夏:まだ見つからないのですか?

ユキ:(しゃくりあげながら)そうなんですッ。わたし、やっぱりわたしが、何かしてしまったのかしら。お別れを告げられて、一週間もご連絡がとれないなんて、ほんとに私、捨てられてしまったのぉおお

清夏:はい、お手ふきですよ。そんなに擦ったら目が腫れてしまいます。

ユキ:ありがとう、ご、ござっ、います、わ。

清夏:梅子さん、でしたっけ? のお家には伺ったんですか?

ユキ:当たり前ですわ、でも「学校は退学した」としか教えてくれませんの……。

清夏:ふむ。担任の先生も事情を知らないのですか?

ユキ:あの、あの先生は鬼です。知っているご様子なのに「共通語を一所懸命にお勉強すれば、あるいはね」ですって。お姉様が共通語に堪能なのはわたしが良く知ってるわ! だって、わたしお姉様に教わってたんですもの。夕日のかげる教室で、そよぐカーテンとお姉様のお髪《ぐし》はそりゃあ美しかったのよそれでそれで

清夏:(M)お姉様の話が始まると、ユキさんのお口は留まることを知りません。私はそんなユキさんのとめどない言葉を聞き流しながら、サイフォンにコーヒーの粉を入れます。

ユキ:マスター、聞いてらして!?

清夏:聞いていますよ。顔を上げたら梅子さんの唇が眼の前にあって、見とれてしまったのでしょう?

ユキ:そ、そうですわ。あら、そこまではまだ言ってないのに……

清夏:そういえば、ユキさん。試作品の味見をして欲しいのですが。

ユキ:あら。

清夏:キャロットケーキのレシピをいただきまして。試しに作ってみたのですよ。ぜひご感想を。

ユキ:キャロットケーキ? 人参ですの? 人参を、ケーキに? なんて珍妙な……

清夏:東方では有名だそうですよ。

ユキ:た、試してみたいですわ。

清夏:(M)ケーキとコーヒーでユキさんのお口を塞ぎ、丁度入ってきたお客様へ目を向けます。

与一:どうも。……芙蓉《フヨウ》ちゃんは?

清夏:おはようございます、与一さん。芙蓉の出勤は午後からですよ。

与一:そうかい。……何時?

清夏:15時ごろには店に出ています。

与一:(喜びを隠して)芙蓉ちゃん、何が好きかな、店主さん。

清夏:そうですねぇ。芙蓉の花は嫌い、と言ってましたが。

与一:なんだよ、自分の名前だってのに。バラはどうだ? 最近、流行ってるだろ? バラ。

清夏:トゲがありますからねぇ。桔梗なんていかがでしょう。

与一:桔梗ゥ? 雑草じゃねぇか。

清夏:ベアトリスの店長さんが育てているものは凛として美しいですよ。花言葉は……誠実、変わらぬ愛。

与一:そりゃいいねぇ。じゃあ夜にまた来るわ。

清夏:巡回ご苦労様です。

清夏:(M)与一さんは、普段は6区と7区の警らを行う警官です。当店の女給である芙蓉にちょっかいをかけては上手くあしらわれている、可哀想な常連さんでもあります。

芙蓉:あれぇ? 今与一さん来てなかった?

清夏:芙蓉、遅刻ですよ。15時から出勤と嘘をお伝えしましたので話を合わせてくださいね。

芙蓉:なんでよぉー。与一さんのチップが大事な稼ぎなのにー。

清夏:ここでは不純な行為は禁止だといつも言っていますよ。

芙蓉:わかってますぅー。オハナシするくらいいいじゃない! 不純じゃなければ良いんでしょ!

清夏:(M)芙蓉の以前働いていたカフェーは、女給が、いわゆる、そういう、不純な接待をする、えー、「不純喫茶」だったのであります。そこが警察の摘発により潰れ、職を失いさまよい歩いていた所を、えー、「純喫茶」である日向《ヒムカ》に雇い入れました。

芙蓉:あら、ユキちゃんおはよー!

ユキ:芙蓉《フヨウ》さん、ごきげんよう。

芙蓉:今日も可愛いねー。お? そのノートは?

ユキ:お姉様との交換日記ですわ。なにか、手がかりがないか読み返していますの。ほら、ここのページなんてとっても素敵なんですのよ。「6月9日。今日は紫陽花を見に行きましたね。朝露が光る紫陽花は、宝石のようにきらめいて、本当に、早起きした甲斐がありました。階段の右側と左側で色が違うなんてどんな仕組みなんでしょうね? いいえ、どんな仕組みだって構わないわ。美しいことには変わりないのですから。ユキさんとあの紫陽花の階段を登った時間は、青春を彩るひとときの夢のようでした。追伸。紫陽花のあの花びらのような部分は、花でなくて萼《がく》なんですって。ご存知だった?」

芙蓉:とっても素敵な思い出だね。

ユキ:ええ。

芙蓉:きっと見つかるよ。だって、姉妹の契りを交わした仲なんでしょう? なんていうんだっけ? えむ?

ユキ:エスですわ。シスターのエス。

芙蓉:そうそうそれそれ。しかもあの「久我《クガ》家」のお嬢さんって、そりゃあ美しいんでしょうから、長いこと隠れていられないよ。

ユキ:ええ、ええ、お姉様は本物のご令嬢なんです! 外見の美しさだけではないんですのよ、指先の所作まで美しいんです。見ていらしてね、カップは、持ち手に指を通さないの。こう摘んで持つのよ。

芙蓉:あら、ユキちゃん、手がプルプルしてるじゃない!

ユキ:う、そんなこと、ないわ!

芙蓉:(声を上げて笑い) まだまだ淑女には遠いわねぇ!

ユキ:そんなこと、ありませんわ!

清夏:芙蓉、遊んでないで仕事をなさい。

芙蓉:あらぁ、お客さんとお喋りするのも仕事ですッ!

清夏:(M)芙蓉は異国の血が混じっているようで、エキゾチックな美しさとでもいうのでしょうが、少々口が軽く思ったことを直ぐに言ってしまうのが玉に瑕《きず》です。そこがまた良いという人も、いるにはいるものですが。

清夏:ユキさん、そろそろ出ないと活動写真のお時間に間に合いませんよ。

ユキ:え? いけない! ……活動写真のことどうしてわかったの?

清夏:チケットがノートからはみ出していますよ。

ユキ:あらわたしったら。これはね、クラスメイトが慰めてくれるってんで、チケットをとってくれたの。そんなに仲良しってわけじゃ、まだ、ないんだけど、せっかく誘ってくれたんだからいかないってわけにもいかないでしょう? それでそれで――

清夏:次にいらしたときは、ご感想を教えてくださいね。

ユキ:そうするわ。では、ごきげんよう。

芙蓉:またねー。……清夏さん、あしらい方露骨じゃない?

清夏:ユキさんにはあのくらいが丁度いいですよ。

芙蓉:そう?  あら、この栞……ユキちゃんのかしら。

清夏:芙蓉、迂闊に「久我家」の名前を出してはいけませんよ。誰が聞いてるかわかりませんからね。

芙蓉:え? ただのお貴族様じゃないの?

清夏:……また路頭に迷いたいですか?

芙蓉:こわ! やめてよ! 清夏さんの真顔怖いんだって!

清夏:ならば口を閉じていなさい。

芙蓉:はぁい。

七瀬:やあー十和田《トワダ》船長〜!

芙蓉:(食って入る)七瀬くんじゃーん! また来てくれたのー?

七瀬:あら、芙蓉ちゃんやっほー。

芙蓉:やっほやっほー。何飲むー?

七瀬:紅茶ー。あと芙蓉ちゃんお手製の、サンドイッチ。おねがーい。

芙蓉:任せてー! はりきっちゃうー!

清夏:(M) 軽い足取りで入ってきたこのお方、七瀬さんは、数日前に初来店した新しいお客さんです。そして芙蓉が一目惚れした相手。芙蓉は裏手のキッチンへトタタと駆けていきました。

清夏:七瀬さん、船長と呼ばないでくださいね。人違いですから。

七瀬:アレェ、まだ誤魔化せると思ってる?

清夏:ごまかすも何も私は船乗りではなく、しがない路地裏の喫茶店のマスターですよ。

七瀬:「日向《ヒムカ》」って。ツクシノシマの言葉じゃんね。

清夏:……。

七瀬:本島では「ヒュウガ」か「ヒナタ」って読むんだよ。

清夏:それだけで……?

七瀬:ツクシノシマ出身の「日向丸《ヒムカマル》」の船長。十和田清夏《トワダキヨカ》。東方の国ルーンベルと大八島《オオヤシマ》をつなぐ長航路を切り開いた伝説の飛行士よ? わかる人にはわかるでしょーよ。

清夏:(ため息)

七瀬:まあ、自分のフネの名前は特別だよね。

清夏:……何が目的ですか?

七瀬:いやあ、頼み事があんのよ。実は推薦書を――

芙蓉:(食って入る)お待たせ〜! 芙蓉ちゃん特製サンドイッチ〜! 召し上がれっ!

七瀬:わー! おいしそー! いっただっきまーす!

芙蓉:どう? どう?

七瀬:……ごふっ。

芙蓉:美味しい?

清夏:お冷どうぞ。

七瀬:(飲み込む)おい、美味し、かっっっ辛いよ! からし入れすぎ!

芙蓉:ええ〜! そうかな? 味見したけどこんくらいが美味しくない?

七瀬:うっそぉ! 芙蓉ちゃんバカ舌?

清夏:いえ、芙蓉の味覚は正常ですよ。

七瀬:じゃあなんでこうなっちゃうの……。

清夏:辛党です。

芙蓉:え〜? サンドイッチはからしたっぷりマヨが美味しいのに。

七瀬:ひーーーー。

清夏:……芙蓉、シチューの仕込みをお願いします。私は七瀬さんと話があるので。

芙蓉:ずるーい! 芙蓉も七瀬くんとおしゃべりしたい〜!

清夏:(M)しっしっと芙蓉を手で追い払い、沸いたお湯でガラスのポットと陶磁器のカップを温めます。ポットが温まったら一旦お湯を捨て、ティースプーンで茶葉をすくいます。七瀬さんの分、どうせ飲みたいという芙蓉の分、そして、ワン・フォー・ポット。スプーン3杯分の茶葉をポットに入れ、お湯を注ぎます。

七瀬:まだ飲めないの?

清夏:もう少しお待ちください。

七瀬:口の中ピリピリする……

清夏:ミルクティーにしますか? 辛味がやわらぐかもしれません。

七瀬:みるくティー?

清夏:牛の乳を入れるんです。

七瀬:茶に!?

清夏:美味しいですよ。

七瀬:じゃあ、それにするわ……アレェ、茶葉が浮いたり沈んだりしてる。

清夏:ああ、ジャンピングといいまして、お湯を吸って重くなった茶葉が落ち、お湯の中の空気を含んだ茶葉が浮くんだそうです。詳しい仕組みは知りませんが。

七瀬:なんか、癒されるねえ。

清夏:そうですね。

清夏:(M)そのまま本題を忘れてくれればいいのに。と思いながら、カップにミルクを注ぐ。ミルクが先かティーが先かで論争が起こっている地域もあるらしいが、まあどちらでもいい。七瀬さんの目の前にカップを置いて、茶漉しを構え、紅茶を注ぎました。

七瀬:おおー。……なんか、いいね。ぐるぐる、混ざっていく感じ。(飲む)うま。えー、うまいねーこれ。

清夏:いいでしょう。緑茶とは違う飲み方ですよね。

七瀬:不思議。茶って大八島《オオヤシマ》のモンなのに。知らねえ飲み方があるとは……

清夏:ふふ。

七瀬:これと一緒ならサンドイッチ食えるわ。

清夏:よかったです。

清夏:(M)その後、七瀬さんにも試作品のキャロットケーキをお出しして、いろんなことをうやむやにしてお帰りいただきました。

芙蓉:あれ!? 七瀬くんは?

清夏:美味しかったそうですよ。サンドイッチ。

芙蓉:喋りたかったのに〜〜! あ、紅茶余ってる。芙蓉も飲んで良い~?

清夏:(M)さて、喫茶・日向の午後は、サンドイッチやケーキなどの軽食だけではなく、シチューやオムライスといった、外つ国《とつくに》の料理もご用意しております。まだまだ他国の料理をお出ししている店は少なく、様々なお客様が訪れるのです。

与一:芙蓉ちゃーーん!

芙蓉:与一さん! いらっしゃーい!

与一:今日も可愛いーねー!

芙蓉:あらあ〜ありがとっ!

与一:あれ? なんか、いつもと、違うなァ。

芙蓉:気づいた? 気づいた? どこが違う?

与一:ん〜?

芙蓉:当ててみて〜?

与一:爪紅《つまべに》の色?

芙蓉:正解〜! さすが与一さん〜!

与一:(デレデレしている)

清夏:(M)ちなみに爪紅の色は昨日と同じです。変わったのは口紅の色ですが、芙蓉にとってはこういったやり取りのほうが大切なのです。

与一:今日はお客さん多いねえ。

芙蓉:そうなのー。与一さんの相手だけできなくて、ごめんね?

与一:いいよいいよ、俺、芙蓉ちゃんの働いてるとこ見るだけで疲れ吹っ飛ぶから〜

芙蓉:もー! ダメ警官さん!

与一:あ〜! 俺はダメ警官ダァ〜!

芙蓉:注文は?

与一:あ、ブレンドとシチュー、パンでお願いね。

芙蓉:いつものねー。はいはーい。

清夏:(M)芙蓉が席を離れると、与一さんは新聞を広げ顔を隠して、店内にサッと目線を走らせました。今いるお客様は、近所にお住いの老夫婦と、仕事おわりのサラリーマンが二人。どちらもたわいのない話をしています。それを確認して、与一さんは目を細めています。どうやら、有益な情報はなかったようです。

清夏:お待たせしました。ブレンドコーヒーです。

与一:おう。ありがとよ店主さん。ああそうだ。人を探してるんだが。

清夏:……どなたでしょう。お力になれるかどうか。

与一:噂でもなんでもいい。岩崎宗次郎《イワサキソウジロウ》ってやつについて、何か知らねえか。

清夏:岩崎宗次郎さんですか……

与一:久我の娘を娶ったらしいんだが、その後行方が知れなくてな。

清夏:その人、警察である与一さんに追われているってことは、極悪人なんですか?

与一:いや、極悪人ってほどじゃねえが……ここだけの話だ。密輸入の嫌疑がかかってる。

清夏:密輸入ですか。品物は。

与一:それは言えねえ。

清夏:失礼しました。一般人には言えませんよね。

与一:いや、いいんだ。それで、聞いたことあるか?

清夏:……存じ上げません。申し訳ございませんが。

与一:そうか。悪いな、変なこときいちまってよ。

清夏:いえいえ。何か聞こえたらお知らせしますね。警官さんにはご協力しますよ。善良な市民ですから。

与一:そうしてくれると助かる。

清夏:では。

清夏:(M)一礼してカウンターに戻ります。なるほど、与一さんのホシは岩崎氏でしたか。

清夏:芙蓉。

芙蓉:なーに? 清夏さん。

清夏:与一さんにお酒を勧めてはどうです?

芙蓉:ああ、ビール? 7区の酒蔵《さかぐら》さんの、新しく仕入れたって言ってたもんね。

清夏:ええ。新商品なのでね。一瓶売るごとに2銭ボーナスをつけましょう。

芙蓉:ほんとに? ほんとだね?

清夏:勧めるだけですよ? 不純な接待は――

芙蓉:わかってるわかってる。

清夏:(M)帝都トキワ6区の路地裏にひっそりと佇む、喫茶「日向」。平穏で、変化のない毎日が、この店の美徳です。

ユキ:(慌てて駆け込んでくる)マスター!

清夏:ユキさん?

ユキ:(泣きそう)あの、あの、わたし、大切なものを無くしてしまってっ

清夏:ユキさん、落ち着きましょう。活動写真館にはなかったのですか?

ユキ:はい、あの、わたし今日一日歩いたところを辿ってきて、ここが最後なんです、ここにもなかったらと思うと!

清夏:ええ、ええ。探しましょう。何を無くしてしまったのですか?

ユキ:(大声)梅子お姉様から頂いた栞なんです!

清夏:(M)興奮したユキさんは声が大きい。与一さんに目をやると、どうやら桔梗を芙蓉に渡しているようだ。

清夏:栞ですか。カウンター周りは掃除しましたが、ありませんでしたね……。

ユキ:そんな、そんなぁ、あれはお姉様との大切な思い出の、栞なんですッ、ああッどうしましょう!

清夏:他の本に挟んであるとかは? 本当に今日持ち歩いていたのですか?

ユキ:交換日記のノートに挟んでいたのよ。確かに今朝はありました。ええ、確かに! (だんだん声が大きくなっていく)お姉様が手ずから押し花にしてくださった、梅の花の栞なんですの! 梅子お姉様が! わたしのために! 作ってくださったというのに!

清夏:(M)梅子という名前はことさら特別な名前でもない。しかし、建国時より共通語の担い手として重用されてきた華族・久我家の才女「久我梅子」といえば、誰に嫁ぐのかと注目されていたビッグネームである。

芙蓉:与一さん、あたしが桔梗が好きなこと、どうして知ってるの……?

与一:いやぁ、勘かなァ。

芙蓉:男の人って、みんな芙蓉の花を持ってくるのに……

与一:おまえさんには、こういう、ささやかな花が似合うよ。ウン。

芙蓉:与一さんっ、ありがとう!

与一:そんな、いや、いいってことよ……(デレデレしている)

清夏:ユキさん、今日はもう遅いですし、一旦おうちにお帰りになったらどうでしょう。私ももう一度お店の中を確認します。見つかれば電報を送りますから。ね?

ユキ:(ぐずぐずに泣いている)で、でも、でもぉ

七瀬:十和田船長!

清夏:七瀬さん?

七瀬:昼間ははぐらかしやがったな!

清夏:なんのことでしょう。

七瀬:いやいいんだそれは。頼む! 俺に推薦状を書いてくれ!

清夏:推薦状?

七瀬:船舶登録のための、船長就任推薦状だよ! これがねえと自分の船を持てねえんだ!

清夏:他の人に頼んでくださいってば。私は喫茶店のマスターなんですから。

七瀬:いいや、忘れたとは言わせねえぜ。あんたが日向丸で運んだコーヒー豆を、俺が乗ってた空賊船「叢雲《ムラクモ》」で保管してたんだからな!

清夏:(M)まずい。今はまずい。非常にまずい。

芙蓉:(コール)はい、飲ーんで飲ーんで飲んで飲んで!

与一:(ビールをごくごく飲む)

芙蓉:(コール)飲ーんで飲ーんで飲んで飲んで!

与一:ええ?もう一本!?

芙蓉:(コール)なぁんで持ってんの? なぁんで持ってんの? 飲み足りないから持ってんの! はい!

清夏:(M)よし、芙蓉が珍しくうまいことやっている。今月の給料は上乗せしてあげます。

清夏:七瀬さん、あなた叢雲《ムラクモ》の乗組員だったんですか。

七瀬:おうよ! 叢雲の心臓、つまりボイラーを管理してた整備士といや俺のことさ! 俺は見てたんだよ、叢雲の船長とあんたが取引するところを。どうだ!? コーヒー豆の「密輸入」をバラされたくなかったら船長推薦書にサインしてくれ! 俺ぁ空賊から足を洗ったんだよぉ! 自分の船を持ちたいんだよぉ!

清夏:(M)この、声がでかい!

与一:密輸入……?

清夏:ユキさん! パンケーキを食べて行きませんか? 最近ルーンベルから、「メープルシロップ」という甘い「蜜」を輸入したんですよ! はちみつとは違う味わいでとっても美味しいんです、それ食べてさっさと元気を出してくださいそして早く帰ってついでに明日学校でご学友にオススメしてください!

ユキ:え? ええ。ご親切にありがとうございますわ。

与一:なんだ蜜かよまぎらわしいな……

芙蓉:えー! パンケーキ!? 清夏さぁん芙蓉も食べたい〜!

清夏:わかりましたわかりましたから、芙蓉、キッチンを手伝いなさい。

与一:ああっ芙蓉ちゃん!

芙蓉:与一さんまたあとでねっ!

七瀬:十和田せんちょおーー頼むよぉーー
清夏:書きます、書きますからあなたは少し黙ってくれませんか。

七瀬:うそ、ほんと? え? ほんと?

清夏:ほんとほんと。ほんとですからコーヒー豆のことは内密に。

七瀬:わ、わかった! うわー! え、俺、船長になれる? うわー! 船の名前どうしよう!

ユキ:パンケーキ……梅子お姉様と食べたあの味を思い出してしまいますわ。そう、あれは去年の11月のこと……そうそう、このページだわ。「ユキさん、今日はどうもありがとう。とっても美味しいパンケーキだったわ。ユキさんはいつも素敵なお店をご存知なのね。どうぞまた楽しいところへ私を連れて行ってね。追伸。週末はお父様のお知り合いの『岩崎さん』という方のお宅へお邪魔するので、ユキさんと一緒に過ごすことができません。ごめんなさい。ところで『岩崎さん』ってご存知? とっても厳しい元軍人さんらしいの」

与一:ん……岩崎……?

清夏:芙蓉ー! パンケーキは時間がかかるので、ある「いは先」《いわさき》にキャロットケーキを皆さんにお出しするのはいかがでしょうか!

芙蓉:いい考えだね清夏さん! ついでに感想も聞いちゃおう!

与一:なんだ聞き間違えか……かー。疲れてんなぁ、俺……。

ーーーー時間経過ーーー

清夏:ご来店、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。

芙蓉:ありがとうございましたー!

清夏:(M)帝都トキワ6区。路地裏を入ったところの少し陰った場所にひっそりと佇む、喫茶・日向は、穏やかでささやかな毎日を繰り返しています。

芙蓉:あー!

清夏:ッ! なんですか。大きな声を出して。

芙蓉:栞! ユキちゃんに返すの忘れてた! あちゃー。

清夏:あなたが持ってたんですか……。

芙蓉:次いつくるかなあ。

清夏:(M)訪れるお客様が、一息つける、平穏なお店。それが喫茶・日向。お客様の秘密は、みだりに話したりはいたしません。ええ。久我梅子さんと岩崎宗次郎さんを、外つ国へお送りした船が大型飛空艇「日向丸」だったということも、優秀な通訳である梅子さんの助力で岩崎さんが武器商人として大成し、この大八島《オオヤシマ》に変革をもたらそうとしていることも、「日向丸」の船長がコーヒーに惚れ込み、空賊を使ってまで豆を輸入し、飛行士を辞めて喫茶店をやっていることも、すべてすべて、ささやかな秘密なのです。

芙蓉:そういえばさあ? 

清夏:はい?

芙蓉:日向って名前にご縁があるな〜って思いまして。

清夏:え?

芙蓉:私が密航した船も、「日向丸」って名前だったなあ〜。

清夏:(ため息)

おわり。

2025.07.12.

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